「がん」と診断を受けても、治療を受けながら仕事を続ける人が増えている。その生活はどういうものなのか。現在進行形で闘病する2人の女性に聞いた――。
メインの仕事から外され、会社を辞めることも考えた
J・Mさん(50代)会社員

J・Mさんは、ステージ4の進行性乳がんの患者だが、フルタイムで営業企画の仕事を続ける。何かあったときには駆けつけてくれる友人がいるが、基本的には1人暮らし。その強靭(きょうじん)な精神力と前向きさはどこからくるのだろう?

「もともと依存心がないタイプ。家族に頼って田舎の家でじっとしているのは私らしくない。働けるうちはしっかり働きたいのです」

抗がん剤を受けずに、仕事をするという選択

実はJさんは40代前半に、初期の乳がんを発症している。最初に診察を受けた病院では、抗がん剤の投与を受けてから、患部摘出の手術をするように診断された。

※写真はイメージです。 写真=iStock.com/FatCamera

「仕事に影響が出るので、抗がん剤治療を受けたくなかったのです。そこでセカンドオピニオンとして、現在も治療を続けている病院の先生の診断を仰ぐことにしました」

乳がん治療の名医でもあるそのドクターは「手術をしなければならないが、取ったがん細胞の性質を見ながら考えていきましょう」と、Jさんに寄り添った治療方針を打ち出してくれた。しこり部分のみ切除して組織検査に出したところ、Ki-67という乳がんの増殖能力を示すマーカー値が高く、抗がん剤を投与するか否か微妙なラインだったのでアメリカに遺伝子検査に出した。結果は再発率10%以下。放射線治療の後、ホルモン療法を受けることになる。

「会社をそんなに休まなくても仕事ができる」とJさんは希望を持ったが、問題は会社側にあった。当時の上司が、彼女の意思を確認せずにメインの仕事から外してしまう。「ゆっくり体を休めたほうがいい」という一見優しい申し出だったが、明らかな“がんハラスメント”だ。

「ちゃんと仕事はできます!と抗議しましたが、受け入れられませんでした。会社を辞めようかと迷ったこともあったけれど、“負け”だと思い、とどまりました」

どんなときでも、自分らしくありたい!

やりたい仕事ではなかったが、治療しながらルーティンワークを淡々とこなす。ホルモン剤の影響で更年期障害のような症状が出ることもあったが、おおむね体調は安定していたし、彼女の頑張りもあって、また大きな仕事を任されるようになる。しかし、5年間で標準治療を終えてほっとしたのもつかの間、肺に転移していたことが判明。

iPhoneの緊急ボタンのメディカルIDを押すと、誰もが彼女の健康状態、緊急連絡先を知ることができる。お守り代わりに持っている。

「結局10%の再発率の中に入っちゃったんです……。気がついたときには肺に水がたまっていました。入院して水を抜く処置をしてもらって、今は抗がん剤治療をしていますが、予断を許さない状態です。最初の発症時と違い、現在の上司は私の病気や働きたいという意思を理解してくれ、負担の少ない仕事を担当することに。それでもフルタイムの勤務は体力的にかなりキツイですが」

転移・再発した末期乳がんの5年後の生存率は約30%といわれる。しかし余命が何年だろうと、彼女は前を向いて生きていくことを諦めない。自分らしくありたいという“誇り”が彼女の支えだ。

「乳がんの患者の会に参加することがあります。末期の乳がん患者の私がフルで仕事をしていると言うと驚かれたり、喜ばれたり、意見を求められたり。そうやって人とつながること、世の中に還元できることが生きる希望なのです」

上司の励ましとフォローで、ほとんど休まず勤務を継続
Y・Kさん(40代)会社員

ぼうこうがんの罹患(りかん)率は男女比で約3対1といわれる。圧倒的に男性の患者が多いので、Y・Kさんはまさか自分がぼうこうがんになるとは思わなかった。もともとぼうこう炎の症状はあったが、ある日血尿が出て、クリニックで診察を受けたところ、がんの疑いがあると診断された。40代後半のときだ。

「専門病院で組織を取って検査に出す手術をするので、何日休むことになるかわからない、だから会社に報告したほうがいいと言われました。私は誰にも話したくなかったけれど、思い切って上司に打ち明けると『元気な君が嘘でしょう』と絶句。でも体が第一だと励まされて。会社には重い病気を乗り越えている人もいるから、頑張ろうと思ったのです」

副作用が軽いことが、かえって不安に

YさんはIT関連の仕事に就いており、平日は帰宅が夜遅くになることが多い。有給休暇がたまっていたので、それを消化する形で10日ほど休んだ。手術後はわりとスムーズに会社に復帰できたそうだが、その後の治療はどうしたのだろう?

病気を知ってから、治療過程や自分の気持ちを書いたノート。精神状態がひどいときは、書きなぐって気持ちを落ち着かせた。

「検査の結果、深くはないけれど、思ったより広い範囲にがんが広がっていたことがわかり、BCG(ウシ型弱毒結核菌)を注入する治療を受けることになりました」

幸いにも重篤な人に比べれば副作用は軽かった。注入した日の夜は、血尿、頻尿、微熱、だるさが出たが、朝になると会社になんとか行けるぐらいにはなる。しかし、通勤には気合が必要だったそうだ。

「トイレが近くなり、微熱やだるさが続いたのが勤務中の困りごと。ただ、インターネットでは、副作用が強いほうがワクチンが効いているという意見もあって、自分には効いていないのかもしれないと不安に。一時期、自分の病気に関することを調べまくっていましたが、情報収集もよしあしですね」

注入は終わったが、ぼうこうがんは再発率が高いので、定期的な内視鏡検査などが欠かせない。現在は夜まで診療しているかかりつけのクリニックに半休や有給休暇を使って検診に行く。

日頃の人間関係を、良好にすることの大切さ

Yさんは社内のムードメーカーで、世話好きなお姉さんタイプ。だからこそ、病気になったことで“元気印”のイメージを失いたくなかった。そんな彼女の病院通いを知られることがないように、上司が優しい気遣いをしてくれる。

「私の仕事を一緒にやってくれたり、深夜勤務になりそうなときは同僚に仕事をふるなど、さりげなくフォローしてくれました」

人生、いつ何が起こるかわからないし、自分ではどうにもならないときがある。そのためにも、日頃から周囲との人間関係を良好にしておくことはとても大事だ。もし逆の立場になったら、その人の力になりたいと彼女は言う。

「病気を知っている総務部の担当者に、産業医との面談をすすめられました。その医師から夜10時以降は仕事をしないほうがいいとアドバイスされて。そこでかかりつけの医師に診断書を書いてもらい、会社に深夜労働の免除を申請しました。そんな制度があるとは、初めて知りました。周囲のサポートに、ただただ感謝しています」