「そこまで言われて仕事を続けるの?」
及川さんのキャリアは衝撃的な出向から大きく動き出す。入社時に「縁の下の力持ちになりたい」と言い、本社営業部に配属されて1年がたとうとするとき、同じ職場の人と結婚が決まった。すると上司から「同じ職場にはいられない。君とご主人だったらご主人を残したいんだよね」と埼玉の販売会社への出向を命じられ、打ちのめされた。本社の同期からは「そこまで言われて仕事を続けるの?」と追い打ちをかけられた。
「当時、若手の女性社員が出向する例はなく、ベテランか家庭の事情がある人に限られていました。でも販社に赴任すると、社長から『待ってたよ。及ちゃんに来てもらいたかったんだよ』と言ってもらえて、やる気が出ました」
いつも温厚な販社社長が激怒
販社での仕事は思いのほかやりがいを感じた。第一線のショップオーナーやBD(ビューティーディレクター)を支援する仕事だから気は抜けなかったが。
「彼女たちは個人事業主だから1日1日が真剣勝負。本社から来た社員に対しても『そんな内容じゃ売れない』『あなた、そういうことを言うと信頼を失うよ』などと率直に意見したり、注意して育ててくれる気風がありました」
32歳のとき、埼玉、東京、茨城の3販社が合併し、大きくなった組織でBDの教育係を束ねる仕事を任されることになった。埼玉はいち早く訪販からショップ販売に切り替え、教育も充実していたため、埼玉方式でやりたいとの強い思いがあった。バックグラウンドの違うメンバーに理解を得て埼玉方式を徹底することには困難が付きまとったが、合併先の部長の「及川のやり方でやっていいよ」のひと言で随分やりやすくなった。
「俺の目の黒いうちは名古屋駅に降り立たせない」
しかし及川さんは、そんな恩人を怒らせてしまう。
あるとき、地域で成功しているショップオーナーを講師に立て、大掛かりな研修会を開くことになった。及川さんは名古屋の販社社長に栄転したその恩人に、「どなたか素晴らしい方を推薦してください」とお願いした。社長の返事は「わかった。相手の都合を聞くから3日待て。ダメならごめんな」というものだった。
「『ごめんな』を可能性は五分五分と思い込んでしまいました。研修会の成功ばかりに気が向いていた私は、同僚から『違う人にも声をかけておくよ』と言われ、頼んでしまったのです」
同僚が先に講演者を決めてきた。名古屋におわびの電話を入れると、いつもは穏やかな社長がすごい剣幕で怒った。名古屋にいるかつての上司からも「及川、何をやった? 俺の目の黒いうちは名古屋駅に降り立たせないと言っているぞ」と電話が入る。
お前ひとりで仕事をしているんじゃない
及川さんは直属の上司に連れられ名古屋に急行した。「絶対に会わない」と言う社長を直属の上司と名古屋の元上司がとりなして面会がかなうと、ひたすら謝った。
社長が「俺がなんで怒っているかわかるか」と問う。「やったこと自体を怒っているんじゃない。講師を選ぶときに直属の上司を頼らなかったし、謝りの電話を入れるときも上司に相談しなかった。それは上司の顔をつぶしたことになる。お前ひとりで仕事をしているんじゃない。ひとりで仕事を抱えてひとりで責任を取ろうとするな。及川、傲慢(ごうまん)になるな」
組織で働くとはどういうことなのかを教えてくれた社長。言葉が身にしみた。
その後、販社は本社の一部門となった。及川さんは埼玉エリアでショップの経営をサポートするフィールドカウンセラーに。新人BDとして入る主婦たちを、ベテランのショップオーナーと一緒に育てる仕事だ。
仕事は面白かったが営業だから数字にはシビア。つい目標達成に気持ちが向きすぎた。ショップを3軒、4軒と忙しく回るある日、店のドアを開けると事務員だけがいて「オーナーはちょっと席を外しています」と言う。
「そうですか、これ今月の数字ですから」と伝えて踵(きびす)を返したとき、戻ったオーナーは憤怒の形相。「あなた、5分も待てないような仕事してるの? 帰って!」とコップの水を掛けられた。
「慌ててドアを閉め、自分の営業車まで戻りました。いったんエンジンをかけましたが、『これで帰っていいのかな』と思いとどまったんです。もう一度店に戻って『明日また来ます』とだけ言い残しました。宣言しておかないと怖くて電話も掛けられないと思って……」
翌日の昼に行くと、オーナーはおにぎりを握って待っていてくれた。そして「及川さん、なんで私が怒っているかわかる?」と話し始めた。「私たちが一軒一軒訪問して足で稼いでいる数字を、あなたが軽く考えたから怒ったんだよ」。そのひと言で、「お互い忙しいから伝言しただけなのに」と釈然としなかった気持ちがスーっと消えた。
昇格試験に失敗し、グレる
そんな失敗の一つ一つを糧にして成長してきた及川さん。本社にいる同期より「苦労している」と思っていたし、「数字も出している」という自負もあった。だから最初に課長昇格の試験を受けたときは「これだけ苦労しているのだから課長になれないなんてありえない」くらいの鼻息だった。ところが見事に落ちてしまう。
「ひどく気落ちしました。試験は業績評価と論文、面接があり、おそらく論文に自分のおこがましさが出ていたんだと思います」
そのときは落ちた理由がわからず、上司に反抗してみせた。
「あなたの下じゃ受からないとか、頑張ってもバカバカしいとか。でも目の前の仕事は一生懸命やりました。現場のことは裏切れませんから」
だがグレた気持ちは隠しきれていなかった。ある日、ショップオーナーの中でも最上位にランクされるグランドオーナーから呼び出され、穏やかに、けれどもキッパリと言われたのだ。「これ以上、私をガッカリさせないで。どこまで腐っちゃうの。早く元の及ちゃんに戻って」
「これは腐っている場合じゃないと、ようやく我に返りました。では自分に何ができる?と考え、埼玉事業所をいい組織にしたい、ポーラにかかわるBDを増やしたいという気持ちがフツフツとわいてきました」
すぐ上司に、組織づくりの責任者になりたいと願い出て、部署内で異動させてもらう。読む本もそれまでの美容、教育の本からマネジメント、組織づくり、マーケティングの本へと変わっていった。
次の課長昇格試験は難なく通った。同時に埼玉エリアのマネジャーという大役に抜てきされ、これまでの上司たちが部下についた。
訪販斜陽の時代に103%達成!
当時、埼玉エリアの業績は全国の中でワースト5。かつて怒らせた名古屋の販社社長が本社の本部長になっていて、その本部長から毎回、不振エリアのマネジャーとして呼び出されるのだった。「訪販斜陽」の時代で、どのエリアも目標の達成率は95%くらい。
その中で埼玉エリアは徐々にランクを上げ、目標の97%を達成して8位になるが、それでも本部長から「生ぬるい!」と一喝される。「4カ月待ったが全然期待に応えてない。優秀な人材がいて経済的にも恵まれたエリアを任せているんだ」
同時期、グループトップからも「勝てないのを環境のせいにしているならガッカリです」と言われて火が付き、「今月103%やります」と宣言してしまった。
翌日、部下たちに目標を告げると「どうして103? 100やればいいじゃない」と反発された。「及ちゃん、どこ見て仕事してるの? 自分の手柄がそんなに欲しいの?」
「違う。埼玉が勝てることを私は見せたいのだと言いましたが、ギスギスした空気が流れました」
それから毎週、本部長にメールで進捗(しんちょく)状況を報告した。返事はない。今まで元上司だからと遠慮していた部下たちにもダメ出しをした。そうして103%を達成すると、今まで反抗していた部下たちも「やった!」と喜んだ。
本部長から「仕事のやり方を覚えたな」とひと言メールが入る。グループトップからも「それがポテンシャルというものなんだよ」と言われた。
「私、愚かなんで、今でも『それはちょっと無理です』と言ってしまうことがあるんです(笑)。でも『及川には優秀な部下を与えているんだ。リーダーが無理と決めてしまったら、部下の可能性をつぶすことになる。そんな上司にはなるな』と言われます」
43歳で執行役員、45歳で取締役に就任。「時間がかかりすぎだ! そんなぶれる女とは思っていなかった」などと、トップからの愛のムチは強まるばかり。よい指導者に恵まれ、よい部下に恵まれ、縁の下の力持ちは組織を引っ張る存在として輝く。
Q. 好きなことば
当たって砕けて、また当たる
Q. ストレス発散
ショッピング
Q. 趣味
登山
Q. 愛読書
浅田次郎、伊坂幸太郎、三浦しをん、桐野夏生