土木や建築の工事で、現場監督を務めているのは男性ばかりだ。しかし、スーパーゼネコンの一つである清水建設では、女性の活躍する場が増えつつある。

清水建設の課題:スーパーゼネコンで女性が活躍するにはどうすればいい?
●建設業界は、長年男性社会であり、活躍する女性は非常に少なかった。
●同社は9年前に女性総合職の採用を本格的に開始。当時の新入社員が中堅に差しかかる。

2016年の晩秋、本格的な冬を迎える直前の八ッ場(やんば)ダムの工事現場を、上野萌さん(2011年入社)と木下美津穂さん(15年入社)が案内してくれた。四方を山で囲まれた峡谷でコンクリートを打つ作業が急ピッチで進む。完成するとダムの高さは116m、総貯水容量は利根川水系で3番目の巨大なダムとなる。

「もうすぐ雪の季節。冬季はマイナス10℃を下回ります」

木下さんの目は早くも厳冬期の工事に向けられていた。

群馬県の八ッ場ダム建設工事現場。冬季は非常に寒くつらい現場だが、24時間体制で作業が行われている。

ダムの工事現場は今でも男ばかりの職場だ。こんな山奥で若い女性が働いていること自体に驚く。先に八ッ場ダムに来たのは木下さんだった。埼玉県出身の木下さんは入社後1カ月間の研修を経て、GW明けに八ッ場ダムの現場監督に着任した。工事現場で唯一の女性。作業員たちは木下さんが現場に出ると聞いて驚いたという。

「当初は気を遣われているのか、避けられているのかよくわからないという感じでした」

職長の下に100人くらいの作業員がいるので、職長1人に指示を出しても全員に伝わらないこともある。このため、作業員各自とコミュニケーションを取る必要がある。木下さんは「おしとやかにしていては向こうも話しかけづらいだろう」と考え、あえて男っぽく振る舞って「こいつ大丈夫だな」と思ってもらえるようにした。

土木東京支店 八ッ場ダム建設所 木下美津穂さん

就職するまで男性に及ばないと思ったことはなかったが、ここに来て文字通り「力不足」を感じたこともある。

「産業廃棄物が飛散しないようにアミをかける仕事を作業員さんに指示するのを忘れ、夜遅くに自分1人でやったときは泣きそうでした。重いんですよ。『力足りないな』と思いながら1人で引っ張っていたら、たまたま通りかかった作業員さんが手伝ってくれました。ありがたかったですね」

決してひ弱ではない木下さんでも、時に弱音が出る。それでもやりがいは感じる。

「日に日に現場の景色が変わっていくことに、自分もちょっとだけですけど関われているんだと感動します」

総合職本格採用4期生。自分がロールモデルとなる

上野さんはすでに3カ所の現場を経験してから八ッ場ダムにやってきた。茨城県出身の上野さんが初めて入ったのが阪神高速道路のトンネルの工事現場だった。

土木東京支店 八ッ場ダム建設所 上野 萌さん

地面を掘り下げ、そこにボックス状のコンクリートのトンネルを構築する作業が進んでいた。新人の上野さんは現場監督として作業員に指示を出す仕事のほかに、工事の検査の対応やそのための資料作成などに当たった。

同社は入社後、育成のため2、3年ごとに職場を替わるローテーションを行っている。そのため工期の長い現場だと完成を目にできないこともある。上野さんは幸いにも開通式まで経験することができた。

「開通前のハイウェイウオーキングのイベントで、自分が担当した箇所を写真に撮っている人を見たときは感激しました」

その後、千葉でのトンネル工事や民間工場の工事に携わった後、八ッ場ダムにやってきた。着任したのは16年の1月。上野さんは木下さんのように現場に出ることはほとんどなく、事務所で原価管理や役所に提出する検査書類の作成の仕事を担当している。

「ひとつ前が小さな現場で、お金の管理を全部やったので一通りは経験していますが、ここは額がケタ違いですし、予算項目の数もすごく多いんです」

同社が女性の総合職を本格的に採用し始めたのが08年で、上野さんは4期生だ。キャリアを描くうえで、ふさわしいロールモデルが存在しないので、自分で試行錯誤せざるをえない。

「最近、所長や副所長からお酒の席などで『女性初の所長になってくれよ』と言われます。かなり期待はされているんだろうとは思いますが、“女性初”はプレッシャー。ちょっとミスをしたら、『やっぱり女は』と言われかねない」

上野さんは、現場にもっと女性が増えて、女性所長が当たり前になる日を待ち望んでいる。

育休で仕事を離れても焦らず少しずつ研究を

上野さんが「プレッシャー」と言う“女性初”を常に背負ってきた女性が技術研究所にいる。安全安心技術センター所長の金子美香さんだ。初めての女性研究者、グループ長、センター所長(部長クラス)への就任も女性初がついて回る。

「女性初は努めて意識しないようにしてきました。今のポジションで誠実に仕事することだけを考えてきました。今後もそうありたい」

技術研究所 安全安心技術センター所長 金子美香さん

入社は男女雇用機会均等法が施行される前の1984年。大学では、地震の揺れによる建物の安全性について学び、入社後も同様のテーマを一貫して研究してきた。建物の構造の耐震性に加え、天井や間仕切りなど非構造部材の安全評価、安全対策まで手を広げて研究したのが後に金子さんの強みとなる。

入社時は嘱託だった。研究者同士は比較的フラットな関係で男女の区別なく働けたが、「正社員のような寮がなかったので、自分でアパートを借りなければいけませんでした」と多少の不便は感じた。

入社から3年目に均等法が施行され、金子さんは総合職として正社員に採用された。09年に次世代構造技術センター次世代構造グループのグループ長となり、4人の部下を持つ。年上の男性部下もいたが、「研究者はある程度独立しているので緩やかなマネジメントです。女性の上司にはみなさん優しくしてくれたので苦労はありませんでした」。

そして12年にセンター所長に就任し、5つのグループを統括することに。11年の東日本大震災の影響で、金子さんが研究してきた非構造部材の安全性が注目されるようになっていた。ただしセンター所長になってからはマネジメントの仕事が中心。

「研究開発の大きな方向性を示すとともに、部下が研究開発を進める際のマネジメントが主な業務です。部門間調整に割く時間も増えました」

女性の総合職を本格採用するようになってからは毎年1、2人ずつ女性が研究所に入ってくるようになり、金子さんの下にも何人か30歳前後の女性がいる。子どもが生まれたときの女性研究者の悩みは育休でいったんキャリアが途切れることだが、金子さんは心配はないと言う。

「会社人生は長いのだから焦らず少しずつ研究を進めてほしい。私たち周りの人間も長い目で育てていくつもりです」

イクボスが称えられる雰囲気を社内につくる

すでに触れたとおり同社は08年から女性の総合職を本格採用している。その背景を専務執行役員(人事部長)の辻野直史さんがこう説明する。

「この業界は長らく男性中心の世界でした。しかし女性活躍は時代の要請ですし、当社の事業が環境やエネルギーなどの分野に広がり、さまざまな人材を取り込んでいく必要があります」

08年は新卒220人中24人、その後は毎年30~40人程度を採用し続け、16年は252人中61人、4人に1人が女性である。ただし、技術職だけで比べると2割に満たない。

「今、女性技術者を5年間で倍増させる目標で採用活動しています」

目標を達成するにはまだ努力を要するだろうが、それでも現場に出る女性の数が増えていることは事実えていることは事実だ。それによって「現場がソフトになる」効果が表れている。

「建設現場は外が囲われて、中で何をやっているかうかがい知れないところがあります。出入りしている作業員は男性が中心ですが、女性が仕事をしていれば、近所の人も『中でどんな工事をしているの?』と気軽に尋ねられるでしょう」

総合職の本格採用で入ってきた女性たちはちょうどライフイベントに入り始めているので、両立支援も大きな課題である。

「育休期間を長くするだけでは満足してもらえません。子育てしながら働きたいという気持ちにどう応えられるかが大事です。現在、女性の部長職は研究所に2人、設計に1人、海外営業に1人いますが、メインストリームである土木と建築でも女性が早く上がってきてほしいですね」

辻野さんの思いを受け止め、女性が活躍できる環境整備を進めるのが、人事部ダイバーシティ推進室室長の西岡真帆さんだ。妊娠・出産した女性は2、3年で職場を替えるジョブローテーションの原則から外したり、配偶者と一緒にいられるように現場を考えたりと、個別対応に力を入れる。

ただし「一番大事なのは上司の意識改革」と言う。どんなに両立支援の制度を整えても、上司が理解を示し配慮しなければ、女性には働きにくい職場になってしまうからだ。

(左)人事部 ダイバーシティ推進室 室長 西岡真帆さん(右)専務執行役員 人事部長 辻野直史さん

そこで、15年、16年とイクボスアワードを開催した。初年は「女性の育児、女性の育成に力を入れている」上司を、2年目は「男女関係なく部下のキャリアとプライベートを支援する」上司を推薦してもらい、その中から秀でたイクボスを選び、社長からトロフィーを渡して称えたのだ。

「イクボスが褒められるという空気感をつくるのが大切です。表彰された中に、現場で働く男性部下に育休を取らせた上司がいました。彼のコメントが素晴らしかった。『私も上司から応援してもらいました。イクボスがイクボスをつくるんです』と」

アワードが、隠れていたイクボスの存在に光を当てる。

結婚・出産もできる所長になる目標もある

東京のオフィスビルの建設現場に、「今後は出産・子育てを経ても、工事長(所長)になり、ゆくゆくは幹部社員になることを目標にしています」と頼もしく話す女性がいる。10年に入社した本間萌絵さんだ。東京で5現場、大阪で3現場を経験し、16年夏に東京に戻ってきた。

東京支店 建築第一部 本間萌絵さん

最初に配属された現場はビルの解体中で、「初めて現場に入ったときは廃墟のようなところで怖くなり、すぐ辞めたいと思いました(笑)」。だが、現場の事務員に女性が2人いて寂しくなかった。女性用の更衣室やトイレも備わっており、人間関係にも恵まれた職場だったので、「辞めたい」となかなか言い出せなかった。

現場監督として自分の父親のような職人に指示を出すことも日常茶飯事だ。最初はきつい言い方をしてしまって嫌がられることもあったが、だんだんうまく仕事をお願いできるようになった。

以前は、朝早くから夜遅くまで働いて、休みも取りにくい時期があり、「仕事しながらプライベートを充実させることなんかできるだろうか」と不安に駆られた。しかしノー残業デーの導入や一斉土曜休日が始まり、2、3年前からは生活に余裕も出始めた。

「上司からも『早く帰りなさい』『優先順位をつけて今日どこまでやるか決めなさい』とよく言われるようになりました。将来両立がかなうように、少ない時間でもっと効率的に仕事ができるようにしたい」

建築の現場は東京を中心に都市部に集中しているので、結婚しても住居を移さず、現場を移っていくことは可能だと思っている。

2013年に社内で初めて「女性活躍推進フォーラム」を開催。国内外から約300人の女性従業員が参加。金子さんと西岡さんはパネルディスカッションにパネリストとして登壇した。

現場の女性たちの不安にどう応えるか

建築の本間さんに比べ、土木の上野さんと木下さんは現場が山奥にあるので、プライベートの充実が描きにくいかもしれない。八ッ場ダムの取材のとき、ダイバーシティ推進室の西岡さんも彼女たちの声に耳を傾けていた。

上野さんは高校時代の同級生と比べて焦ることも多いという。

「仲の良かった友達が今度結婚するとか、産休に入っているとか、そんな話を聞くと、私は何をやってるんだろうなと思うこともあります」

西岡さんも元は土木現場の技術者だ。彼女たちの気持ちはわかる。

西岡さんはダムの工事現場を歩きながら、グッと背伸びをして「やっぱ現場はいいな」と口にした。そして2人のほうを向いた。

「今はつらいと思うことも多いだろうけど、いつか現場で仕事をして本当に良かったと思える時が来るよ」

現場の女性たちの両立をどう支援し、彼女たちのキャリアを築いていくか。これからが女性活躍推進の本番だ。