海老原さんは米国に10年以上暮らし、世界中を飛び回りながら、担当するビジネスを約60カ国で展開してきた。振り返ればアメリカでのキャリアを存分に楽しんできたが、その途中には女性上司との確執があった。まるでドラマになりそうな。

イノベーションのコツはわらしべ長者

ジョンソン・エンド・ジョンソンでビジョンケア カンパニーの経営に当たる海老原育子さんは、そのキャリアを住友スリーエムでスタートさせた。入社のきっかけは、東京大学理学部大学院の修士課程在籍中に届いた会社案内。

「テクノロジーがたくさんあり、多様な製品を展開している会社だったので、私にも貢献できる分野があるのではと思いました」

ジョンソン・エンド・ジョンソンビジョンケア カンパニー 最高執行役員(COO) 海老原育子さん

入社後は製品やテクノロジーの開発に携わる。1999年に本社3Mに転籍することになるのだが、最初は海外で働きたい気持ちはなかった。2年間、長期出張した経験が大きい。

「3Mにはイノベーションを起こすための技術的なコアスキルと、オープンなコラボレーションを推進する姿勢が有形無形に備わっていました。課題があればすぐに誰かに相談でき、その人がまた別の人を紹介してくれる。わらしべ長者のように10人くらいたどると、試すに値する面白いアイデアが5つ、6つ出てくるのです」

アメリカで働くほうが圧倒的にエキサイティングだと感じた。

 

女性上司の下で緊急事態発生!

アメリカでも最初は技術者だったが、やがてマネジャーとして活躍していく。今度はアメリカから日本へ長期出張することに。スリーエム ヘルスケアのメディカル事業を立て直すためだ。事業部長として2年4カ月でV字回復させ、実績を引っ提げてアメリカに戻る。すると驚くべきことが待ち受けていた。手術室関連のビジネス開発担当マネジャーに着任するのだが、上司の女性が女王様タイプ。初対面で「あなたは私につくの? つかないの?」と詰め寄られた。

「プレゼンテーションがすごくうまくて、現実とかけ離れていても幹部に印象付ける力がありました。彼女のストーリーにそぐわない意見や提案はことごとくダメ出しされました」

(上)9件のUS特許を取得(中)約60カ国の世界展開を担当(下)アキュビュー(R)ストア表参道オープン

女主人になびこうとしない海老原さんは、何かにつけて嫌がらせを受けるようになる。

「何をしても『そんなのダメよ』と言われっぱなしでしたが、ビジネスの結果は出せると思って媚びを売ることはしませんでした」

しかしそんなことは言っていられない事態が起きた。

「私たちのビジネスに関するガイドラインが大きく変わろうとしていました。変更が通ってしまうとビジネスそのものが失われ、相当な痛手を負ってしまいます」

慌てて学術に強いリーダーと一緒に、新しいガイドラインをひっくり返す作戦を練った。ガイドラインを決める団体に対して、変更を思いとどまらせるためにロジックを考え、医学的なエビデンスを探し、さらに、その団体に対してモノを言える人物を選定した。

「最善のアプローチを考え、一歩進んでうまくいったかを確認し、大丈夫なら次の一歩を進めるという詰め将棋にも似た作業を、一つ一つ地道にこなしていきました」

慎重に事を運び、3カ月後に新ガイドラインの取り下げに成功した。さすがに女王様も喜んだことだろう。ガイドラインが通れば自分の責任問題にもなりかねない。ところがニコリともしなかった。

「もしガイドラインが通っていたら、私のクビを切ってその功績で地位を死守するつもりだったはずです」

まるでドラマだ。

羊飼い型のマネジメントスタイル

この一件の後、その上司の配下を逃れ、インターナショナルディレクターとして約60カ国で担当ビジネスの世界展開を手掛ける。まさに水を得た魚。もし東日本大震災が起きなければ今も世界中を飛び回っていただろう。

「震災直後はアメリカから何もできなかったので、自分が日本に貢献できることは何だろうと考え、日本の経済や社会を活気づける強いビジネスリーダーの育成ならできると思いました」

思いの種は先の事業立て直しのときにまかれていた。

毎月毎月、業績が落ちる中、メンバーを入れ替えることもできないため、海老原さんは自分の力でV字回復を成し遂げようとシャカリキになっていた。そんなある日、チームにいた若手メンバーが成長を感じさせる提案をした。

「それを見たときのうれしさといったら! 教えたことを全部吸収していました。自分が投入したエネルギーの100倍もの喜びで返ってきたんです。もう病みつき(笑)。部下が送ってきたメールに一言添えて返す。たったそれだけのことでも相手の人生を変えてしまう。そういう地位にいるのは身が引き締まります。同時に恵まれている、ありがたいなと思います」

そのとき海老原さんのマネジメントスタイルが決まったようだ。

愛用しているのはシャネルの香水。シュッと洋服につけると気分が上がる。

「ここに賢くてデキるメンバーだけど『やってられないね』としらけている集団と、能力は標準値だけど『やろうよ。楽しいね』と意欲的な集団があったら、1年後の結果は後者が絶対にいい。一人一人が自分らしく最高のパフォーマンスを出せる環境をつくることが自分へのチャレンジと考えています。自ら新しいことを学べ、成長の実感が持てる組織が理想です」

学習する組織での海老原さんの役割は「羊飼い」だという。

「『あのゴールまで一緒に行かない?』と誘って傍らを歩き、違う方向に行こうとするメンバーを『違う違う』と連れ戻す(笑)」

羊飼い型マネジメントで世界に通じるビジネスリーダーの輩出を目指す。

■Q&A

 ■好きなことば 
ありがとう(この言葉を心から言うことができれば、すべてうまくいく気がします)

 ■趣味 
つまみ細工、プロサッカーの観戦

 ■ストレス発散 
音楽を聴きながらレイキをしたり瞑想をする

 ■愛読書 
『シンクロニシティ未来をつくるリーダーシップ』ジョセフ・ジャウォースキー著

海老原育子
ジョンソン・エンド・ジョンソンビジョンケア カンパニー 最高執行役員(COO)。1965年生まれ。90年、東京大学理学部大学院修士課程修了後、住友スリーエム(現3Mジャパングループ)に技術職として入社。99年米国本社に転籍。インターナショナルディレクターとして、約60カ国の世界展開を担当。2013年ジョンソン・エンド・ジョンソンに転職し、16年より現職。