最初の仕事は忙しくもやりがいがあった。子どもが生まれたとき、会社は負担の少ない部署に異動させてくれたが、子どもがいても存分に仕事がしたかった岩井さん。そのとき取った行動とは……。
お客様が怒りながら教えてくれたこと
最初に入社したのは食品メーカーです。当時としては珍しい職種採用を行っていて、海外営業部に配属されました。大学は外国語学部でしたしアメリカに1年留学したこともあって、グローバルなところで仕事をしたいと思っていたんです。
海外営業部には、自社の商品を海外に売ったり、海外の商品を国内に入れてきたりという商社機能がありました。3年目からは自分で案件を持ち、工場と生産のスケジュールを調整したり、製造コストや輸出コストを計算したうえで利益が出るかを計算するなど、一通り任されるように。
その部署では、中国工場でつくったおもちゃを日本の玩具メーカーに納品する仕事もしていました。入社5年目のころ、工場から送られてきた製品の品質があまり良くなくて、お客様と揉めてしまったことがあります。もちろん、その件は申し訳なく思ったのですが、次の製品の話もしないとお客様の販売スケジュールに関わってしまうので、「これはこれとして」と話を進めようとしたとたん、「非常識だ!」とすごい剣幕で怒られてしまいました。
今までそんなふうに怒鳴られたことがなかったので驚いたのと、「自分たちの都合に合わせてお客様に接してはいけない。お客様の視点に立って考えないといけないのだな」と身に染みて理解できました。でも、叱っていただいたことは感謝しています。後にお客様と関係修復することができたのも幸いでした。
子どもを預けて働くなら、やりたいことを!
失敗も織り交ぜながらですが、仕事はとてもやりがいがありました。
会社自体は当時、女性だけにお茶くみがあったり、制服があったりしました。ですが、海外営業部は女性でもどんどん海外出張に行かせ、私も中国やタイ、インドネシア、香港などに何回も出張しました。そういう職場でしたから、上司の期待に応えたいといつも思っていました。
転職のきっかけになったのは娘の出産です。それまで育休をとった人が誰もいない会社だったので周りが必要以上に気を遣ってくれ、職場復帰のときには、それほど忙しくない国内の小さな取引を担当する仕事に異動させてもらいました。
でも私は、子どもを保育園に預けて働くのなら、自分がやりたいことをやりたいと強く思ったんです。
そんなとき紹介されたのが現在の会社です。海外から日本に出向してきていたコンサルタントのチームが日本でビジネスを展開するに当たり、仕事をやりやすいようにバイリンガルのコンサルタントが必要だというのです。コンサルティング業界は未知の世界だけど、これまでも日本語と英語を使いながらビジネスを進めてきましたから、その経験が活かせるのではないかと思いました。
面接で「結婚しているのか? 仕事に支障がないか?」と聞かれたので「あるわけないじゃないですか」と答えました。でも「子どもはいるのか?」とは聞かれませんでしたから、そこは黙っていました。転職後に「子どもが……」と言ったら、「エッ、子どもいるの!」と驚かれましたが、それだけです(笑)。
上司も席も固定ではない新たな環境
転職してみたら戸惑いの連続です。
前は何でもしっかり決まっている会社でした。上司や席はもちろん固定だし、書類は何でもハンコをついて回します。ところが今度の会社は、座るところは毎日変わるし、プロジェクトが変われば上司も変わります。1つのプロジェクトが終わると、次に何をやるかは自分ではわかりません。突然、「こんな案件があるんだけど、これから新幹線に乗って来てくれる?」という感じです(笑)。
すべてが新しい環境でした。
上司から、新しいプロジェクトに取り掛かるときは、クライアントの業界に関する本を何冊か読み、同業他社の事例を徹底的に調べ、相当インプットしたうえでお客様の前に立ちなさいと言われました。
転職初期で苦労した仕事の一つが、海外メーカーが本国で用いている製造プロセスを日本にもそっくり入れようとしたプロジェクトです。日本には日本流のものづくりへのこだわりがあります。お客様と話しながら要件をまとめていくのですが、どうも現場と噛み合っていない。そういう難しさもあれば、関わるコンサルタントの国籍が12カ国にもおよび、メンバー間のアウトプットに対する考え方がかなり違いました。日本人が求める品質レベルが一番高かったですね。
1年半ほどのプロジェクトでしたが、メンバーがお互いに理解し合うだけでも大変でした。