iPadで簡単に予約管理ができると飲食店で人気のサービス「トレタ」。トレタの中村仁社長は、Twitterで有名なとんかつ&しゃぶしゃぶ店「豚組」や、食べ物写真に特化したSNS「miil」などを生み出した人物でもある。「食+IT」というフィールドに、中村さんがたどり着いた経緯とは?

経営哲学のままのフラットなオフィス

デニムにジャケット、ニューバランスのスニーカー。株式会社トレタの代表取締役社長、中村仁さんは、カジュアルな着こなしでインタビューの場に現れた。

トレタ代表取締役社長、中村仁(ひとし)さん。

東京・五反田にあるトレタ本社は、そんな爽やかな中村さんによく似合う、すこんと抜けのよいオフィスデザインが印象的だ。壁が少なく、社員の顔がみんな見渡せるフラットフロア。その会社の組織のあり方は、オフィスのレイアウトにも現れる。中村さんは言う。

「僕は、社長室は必要ありません。何か中央集権的な感じがするじゃないですか。一応、フロアの真ん中には座っていますが。役職は上下ではなく、役割だと考えています」

全員のデスクがあるオフィススペースと同じくらい、入り口のオープンスペースが広く、洒落ている。入り口の大きなカフェのようなオープンスペースには長いカウンターがあり、社員はそこに立ったまま、ノートPCを見ながら打ち合わせをしたり、コーヒーをいれて飲んでいたり。社長も一緒にその場に加わることも珍しくない。ふと、過去に読んだ記事で中村さんが言っていたこんな言葉を思い出す。

「価値を作る場所には、お金をかけたほうがいい」

トレタのオフィス入り口。広々と開放的な空間が印象的。

中村さんが起業したのは2008年。スパークリングワイン専門の立ち飲みバー「壌(現在は「壌 泡組」)」や、とんかつ&しゃぶしゃぶの店「豚組」などの飲食店を成功させた後、飲食店をサポートするBtoBサービスを提供するためIT分野へ進出した。

現在は、2013年にスタートした予約システム「トレタ」を提供している。 2016年5月現在、契約店数は5800件。トレタによるのべ予約件数は800万件に達した。この成功に至るまで、中村社長はどんなビジネス人生を歩いて来たのだろうか?

会社の一部をまっとうするより、全体を見渡したかった

新卒で入った会社は松下電器産業(現、パナソニック)。3年半、会社員生活を送った。

「最初はテレビ事業部というところに配属されました。大手企業ですが、部の単体として見ると中小企業的なところもあり、プレスリリースなど文章を書く機会をもらえたことはありがたかったですね。創業者の松下幸之助がつくった独特の文化は、僕のビジネスへの考え方の一部をつくったと思います」

同社の独特の文化のなかには、たとえば「水道哲学」と呼ばれるものがある。「蛇口をひねると水が出てくるように家電製品を普及させることによって人の暮らしを豊かにしよう」という意味だ。

「パナソニックの思想は、テクノロジーを普及させて、人の暮らしを豊かにしようという思いですね。その仕事によって人のライフスタイルを変えていきたいという思いは、僕にもありました。ただ、大企業の会社員というのは、大きな仕事の一部分を担うんですね。僕は全体が見渡せるような仕事をしたいと思ったんです」

インターネットに興味があった中村さんが、当時やりたかった仕事は「マルチメディア」。マルチメディア関連の部署への異動希望を出してみたが受け入れられず、留学も考えた。

「アメリカの大学院へ行けないかと考えました。会社に行きながら英語の勉強を独学でやりましたが、大學院に留学するには難しかった。でもTOEICの点数は伸びていたので、英語で働くことはできるかも、と思ったんです」

そこへ、願ってもない転職の話がやってきた。外資系の広告代理店が日本法人を立ち上げたばかりで、そこに参加しないかというのだ。

オフィス入り口のカウンターにはさまざまなコーヒー器具や社員のコーヒーカップが並び、社員が思い思いにコーヒーを楽しめるようになっている。

「筋を通したい」気持ちからフリーに

その外資系広告代理店には、まさに中村さんのやりたい仕事があった。同社の最重要クライアントは、IBM。社内は外国人ばかりで、まるで国内で留学しているかのようだった。

「やりたかったIT分野の仕事でした。そこで3年半勉強したことが、今の自分の原型になっています」

仕事は楽しかったが、中村さんは海外の本社の方針と意見を異にすることになる。折り合えず28歳でその広告代理店を退社。しかし、彼の実力を買っていたいくつかの会社から「個人でマーケティングの仕事をやらないか」「立場が変わったら一緒に仕事をしたいと思っていたんです」と、オファーが集まった。

「辞めた広告代理店の日本法人の会長からも『うちでは受けられない仕事をやってくれないか』と電話をもらいました。嬉しかったですね。それで2年くらい、フリーでやっていたんです」

その心に信念と志は消えていなかった。しかしそれを起業して実現するために、中村さんにはまだ少し回り道が用意されていた。電機メーカー、広告代理店、と勤めてきた中村さんは次に、思わぬ形で飲食店経営に関わることになる。

森 綾(もり・あや)
大阪府大阪市生まれ。スポーツニッポン新聞大阪本社の新聞記者を経てFM802開局時の編成・広報・宣伝のプロデュースを手がける。92年に上京して独立、女性誌を中心にルポ、エッセイ、コラムなどを多数連載。俳優、タレント、作家、アスリート、経営者など様々な分野で活躍する著名人、のべ2000人以上のインタビュー経験をもつ。著書には女性の生き方に関するものが多い。近著は『一流の女(ひと)が私だけに教えてくれたこと』(マガジンハウス)など。http://moriaya.jimdo.com/

ヒダキトモコ
写真家、日本舞台写真家協会会員。幼少期を米国ボストンで過ごす。会社員を経て写真家に転身。現在各種雑誌で表紙・グラビアを撮影中。各種舞台・音楽祭のオフィシャルカメラマン、CD/DVDジャケット写真、アーティスト写真等を担当。また企業広告、ビジネスパーソンの撮影も多数。好きなたべものはお寿司。http://hidaki.weebly.com/