働く女性に向けて、30歳になる前に「心も経済面も安定させてくれる男を探す方が正しい」と男性コラムニストが書いた記事が炎上し、取り下げられた。これに限らず、ネットにおいて男性が女性について語り、不興を買う例は後を絶たない。なぜこうしたテーマは“燃えがち”なのか、背景にあるネットならではの理由とは……。

“逃げる女”の何が気に障ったのか

ちょっと前の話になるが、日経ビジネスオンラインで3月に連載を開始した『セケンの勝ち方』というコラムが、初回から大炎上したのを覚えていらっしゃるだろうか。「逃げる女性は美しい」と題し、男性エッセイストが“仕事に邁進して嫁に行きそびれ、友人が結婚するたびキーキーとヒステリーを起こしたりする”働く女性たちに向けて“30前になったら仕事をいったんお休みしてでも、心も経済面も安定させてくれる男を一度探してみる(仕事を捨てる)行為の方が、正しい”と書いた内容が「こんな不快な記事、読んだことない」と女性の不興を一身に買い、すぐに掲載が取り下げられた。その顛末(てんまつ)を報じたBuzzFeedの男性記者は、記事のサブタイトルで「いまどきこれですか?」とバッサリだ。

日経ビジネスオンラインに掲載された『セケンの勝ち方』第1回は、掲載してすぐに取り下げられた。

元のコラムは「女性管理職=バリキャリ」or「仕事と子育ての両立を目指すワーママ=自称万能ガール」という構図に自分を押し込めることなく、セケンが押し付ける女性像から逃げよ、それがむしろセケンでの勝ち方であると書いたようなのだ。女の人もさぁ、そんなゴリゴリ無理しなくていいんじゃないの、だってそんなのセケンが無責任に押し付けてくる生き方じゃん、真に受けないで逃げたらいいじゃん、柔軟にしなやかに自分の好きなように生きたらいいじゃん、というのがおよその筋だろう。

でも、だからといってなぜ“30前に心も経済面も安定させてくれる男を探す方が正しい”のだろう。なぜ“人生で達成できることは1つか2つ。女の人の場合、「仕事と結婚」か「結婚と子育て」”なのだろう。本当に、男が読んでも女が読んでも「いまどきこれですか?」だ。志した方向性はまあまあ分からなくもないのだが、いかんせん要らぬことを言い過ぎるなかに当の男性エッセイストのお粗末な男女観がうるさくて、「黙っとけ」となったのではないか。

ネットの世界を強者が歩く時、必要なこととは?

こうした話は「逃げる女性は美しい」に限ったことではない。基本的に、ネットで男性が女性を語るのは難しい。なぜならネットはもともと“弱者のメディア”だからだ。インターネットの普及は、知り得る情報量と権力の大きさがほぼ同義だった過去の社会を覆し、情報に接する機会の平等と情報による民主化を進めてきた。

そんな民主化が進行して20年以上を経たいま、ネット言論には構造的な枷(かせ)が生まれている。“弱者のメディア”たるネットにそれまでの社会では力を持たなかった人々が流れ込み、ネットが言論の場として拡大し熱を帯びるこの現代に、弱者側の当事者感覚を持たない人、つまり強者と見なされる人間が弱者と見なされる人間について語るとき、その不自由さは顕著となる。

ネットは弱者のホームであり、強者のアウェーなのだ。例えば白人が有色人種について語ったり、ある程度のポジションにいる成人男性が女性のあり方を語ったりするには、繊細なバランス感覚を要する状況になっている。だからそのバランス感覚を制する者が、ネット言論での強者なのだろう。ネット上で異なる社会集団に所属する他者に向かって何かを発言し、その発言を相手の懐へきっちり届けるための最重要戦略。『セケンの勝ち方』筆者のプロフィールを見ると、「チャールズ・ブコウスキーを想起させる、パンクでシニカルな独特の文体がファンを惹きつける」とある。しかし彼の場合、パンクとかシニカルの前にやっておくべきことがありそうだ……。

河崎環(かわさき・たまき)
フリーライター/コラムニスト。1973年京都生まれ、神奈川育ち。乙女座B型。執筆歴15年。分野は教育・子育て、グローバル政治経済、デザインその他の雑食性。 Webメディア、新聞雑誌、テレビ・ラジオなどにて執筆・出演多数、政府広報誌や行政白書にも参加する。好物は美味いものと美しいもの、刺さる言葉の数々。悩みは加齢に伴うオッサン化問題。