日産自動車への入社のきっかけは、カルロス・ゴーン社長の目に留まった1本の論文だった――2015年4月に同社専務執行役員に就いたのは星野朝子さんだ。彼女の信条はとことん「勝ち」にこだわること。予測のプロは、なぜそうも「勝ち」に固執するのか?
勝つ気のない組織に結果は出せない
2年も前に予測した販売台数が、次々に当たっていく。そんな予測のプロが常に心に持っているのは、勝つことへのこだわり。そうでなければモチベーションも起きないし、負けから学んで次に活かしていくこともできないと言い切る。
大学卒業後に日本債券信用銀行(現・あおぞら銀行)で3年間働いたあと、米ノースウェスタン大学ケロッグ経営大学院でMBAを取得。帰国してから社会調査研究所(現・インテージ)で、市場調査の専門家としてキャリアを積んだ。
社会調査研究所では10年以上にわたってマーケティング分野のリサーチやコンサルティングに携わったが、アメリカから帰って間もない頃、2つ目の仕事でつまずいたことがあるという。
「ある飲料メーカーにマーケティング戦略をプレゼンしたとき、資料のトップページに『打倒○○!』とライバル会社の名を書き込んだんですが、『うちは打倒○○なんて思っていませんよ。削除してください』と厳しく言われました」
そのスローガンは「戦わずして勝ちはない」という自身の信念の表れだった。アメリカと日本のビジネス文化の違いが如実に表れたともいえるが、それだけでもない。
「芸術家でもない、私も含めたふつうの人って、能力に大差はないと思っているんです。仕事の達成レベルに差をつけるのはモチベーション。これに尽きるんですよ。勝とうという気持ちがなければモチベーションが失われ、結果も出せません。絶対、やる気のある組織が勝ちますよね。……こんなことばかり口にしているから、友達からも『競争って聞くと目が輝くね』って言われるんですが(笑)」
飲料メーカーへのプレゼンは少しうまくいかなかったけれど、それはクレディビリティを築く時間が足りなかっただけ。
星野さんは2002年、日産自動車に市場情報室の室長として迎え入れられる。きっかけは一本の論文。それがカルロス・ゴーン社長の目に留まったのだ。
当時、星野さんは論文を次々と発表していた。アメリカではマーケティング調査は専門会社が担う仕事。だが日本では広告代理店がサービスとして手がけていた。星野さんは代理店経由ではなく、ダイレクトに社会調査研究所へ仕事を発注してもらおうと頼みに行くが、会社に知名度がなく門前払い。
「で、“星野朝子”を売り込まなきゃと思って、『ノースウェスタン大でMBA取ってきた星野です』とか、『近代マーケティングの父、フィリップ・コトラー教授と一緒に書いた論文です』などと虎の威を借る戦法で論文を書きまくっていたんです(笑)」
開発チームと真っ向から対立
ゴーン社長に請われ、転職してきた星野さんだったが、販売予測で開発メンバーと真っ向から対立することに。当時、新車の販売予測は開発チームが担当していた。開発メンバーにしてみれば、自ら手がけるクルマだから、予測はどうしても甘くなりがち。星野さんの販売予測は開発チームの面目を失わせるような低い数字だった。
「アメリカの心理学者、フェスティンガーが唱えた『認知的不協和』理論のように、人は自分が信じていることは耳に入るけど、そうでないと聞こえなかったことにしたり、都合よくすり替えて理解したりということがある。そうしたことを排除して客観的な立場で分析した数字は当たるんです」
開発メンバーはプロジェクトの存続も危うい予測に色を失う。毎晩のようにやってきては、星野さんの予測がいかに間違っているかをとうとうと説明する。けれど予測を上方修正したところで売れる台数が増えるわけでもないと思い、「そんな暇があったら、開発センターに戻ってクルマを造り直したらどうですか」と突っぱねた。
たまりかねた開発メンバーから出たのは「オレたちを殺す気か!」「オレたちはこれに命をかけてるんだ!」という叫びだった。とっさに「仕事に命をかけないでください。命はご家族のために大切にしてください」とかわしたが、「そう言うしかなかった」という。
「私の後ろには市場情報室のメンバーがいますから、『なら1000台プラスで手を打ちましょう』なんて口にできません。私のクレディビリティが地に落ちます」
04年秋、日産自動車の復活を象徴するように6車種が同時デビューする。星野さんたちが予測した販売台数の折れ線グラフに、毎月アップデートされる実績の販売台数を示すグラフがきれいに重なっていく。客観的な市場分析の確かさが証明され、星野さんのクレディビリティが揺るぎないものになった瞬間だった。
「マーケティング部門の勉強会などでも、『いやぁ、怖いくらい当たっちゃって』とデータを見せながら、いかに自分やチームがクレディブルであるかを宣伝して回っていました。私がクレディブルじゃないと、毎日のように小さなコンフリクトが起きますから」
さすがは予測のプロだが、人生には見通し困難なことも。
「子どもをもっと早く産めばよかった。周りの人たちが『子育ては大変よ』『もう仕事なんてできなくなるわよ』と言うものだから遅くなっちゃって。でも産んでみたらチョーかわいくて(笑)。5年も10年も夜泣きするわけじゃないし、そのうち保育園に行くようになるし。みんなが『子どもはかわいいわよ』と言ってくれていれば、あと1人、2人産めたのに」
予測の達人にして、唯一の黒星といったところだろうか。
■Q&A
■好きなことば
“勝ち”にこだわらなければ、“負け”から何も学べない
■趣味
スキー、水泳、ゴルフ、テニス、洋裁、読書、温泉、旅行
■ストレス発散
息子とのキャッチボール
■愛読書
日ごろはもっぱら歴史小説と推理小説。文学なら夏目漱石
1983年慶應義塾大学経済学部卒業。日本債券信用銀行を経て88年ノースウェスタン大学ケロッグ経営大学院にてMBA取得。89年より社会調査研究所勤務。2002年日産自動車に移り、市場情報室長。06年執行役員に就任。14年常務執行役員、15年専務執行役員。