もしあなたが、乳がんを宣告されたら? 日本の乳がん罹患率は12人に1人。私たち女性にとってあながち遠い話ではありません。乳がん手術は、乳房の一部を切除する温存術が主流だった10年前とは違い、全摘出+乳房再建手術が60%を占めるまでになっています。乳房再建をリードする「がん研有明病院」形成外科医・前田拓摩医師のシゴトに迫ります。

乳がんに苦しむ女性を救う、乳房再建の技術

「がん研有明病院」の形成外科・前田拓摩医師。穏やかで丁寧な語り口が印象的だ。がん研の他に、週の4日を、北海道・札幌市の「札幌ル・トロワ ビューティークリニック Vogue」の院長として勤務し、多忙な毎日を送っている。

筆者は以前、藤森香衣さんというモデルにインタビューをしたことがある。彼女が乳がんを宣告されたのは2012年12月のこと。右乳房にステージゼロの、複数のがんが見つかった。遺伝的なリスクもあったため、告知からセカンドオピニオンを経て4カ月後に右胸を全摘出した。今、彼女の右胸には、同時再建(がんの摘出手術の直後に行う形成外科手術)したシリコンパックが入っている。再建手術を受けるに至った話は、私が過去、彼女に行ったインタビュー記事に詳しい。さらに「藤森香衣のがんコラム」でも、生還者の視点で乳がん検診の大切さが綴られている。

モデルでなくとも、乳がんは内臓のがんと違い、女性としての外見に作用する。抗がん剤や放射線治療の身体的な苦しさに加え、“容姿の変化”という精神的なダメージとも闘わなくてはならない。女性なら誰でも、乳房を失うのはつらい。ましてや、モデルという職業柄、「美しさ」が売り物である藤森さんが、片乳房を失うということは、どれだけつらかったことだろうか。

藤森さんは、右胸を全摘出してから1カ月後、ホノルルトライアスロンのチャリティーランを完走した。乳がんサバイバーとして、乳がん啓発をするためだ。手術前は乳房を失うショックで涙に暮れていた彼女が、こんなに前向きに、仕事に復帰できたのには理由があった。

「乳房再建をしてくれた先生が、とても美しく私の右胸をつくってくれたんです。乳がんは早期発見さえできれば、私のように再建することができる。乳がん啓発の大切さを、自分の経験から伝えたかったんです」

そう、その乳房再建を担当し、藤森さんに女性としての自信を取り戻してくれた乳房再建手術のエキスパートが、今回紹介する「がん研有明病院」の形成外科・前田拓摩医師だ。

乳房再建をリードする「がん研有明病院」

東京都江東区にある「がん研有明病院」。午後の手術を終え、私たち取材班を迎えてくれた形成外科医・前田拓摩さんは、疲れも見せずに飄々とした風情で現れた。

慶応大学理工学部に入学したが、1年で医学の道へ転向。浜松医科大学卒業後、横浜市立大学附属病院形成外科へ。ここで形成手術が必要な子供たちに出会い、形成外科医としてのキャリアが始まった。

「よろしくお願いします」。 白衣を翻して現れた長身は、医師というよりはまるでモデルか俳優のよう。爽やかなこの風貌で、日本の乳房再建をリードするドクターとは恐れ入る。案内されたのは、前田さんの長身には少し手狭な、患者と向き合うための診察室だった。

「午前中はこちらで外来診療、午後は手術。オペ(手術)件数は週に10件ほどあります。自分で執刀もしますが、乳房再建技術を継承するために、今は若手や全国から研修にいらっしゃる先生方に、指導する立場に回ることが多いですね」

2014年1月、乳房再建の保険適用以前から、ここ、がん研有明病院では、がんの切除に加えて術後の再建手術を行ってきた。実績を重ね、現在オペ件数は国内でトップクラスを誇るという。2008年に横浜市立大学附属病院を経てがん研有明病院に来た前田さんも、それらのオペを数多く担当してきた。保険適用以降も、この手術で実績のあるがん研で乳房再建を望む人が多いのだ。

「乳房再建手術は、2014年の保険適用以前は先進医療でしたから、クリニックでできるところはあっても、このがん研のように、がんの保険医療+乳房再建の両方をできるところは少なかったんです。それで必然的に、当時30歳そこそこの僕でも、再建手術の経験を重ね続けることができたんです。現在の僕の再建関連手術件数は3000例以上でしょうか。」

前田さんによると、日本の乳がん患者は、年間約6万人。その中で、2015年に乳房再建をした患者数は約6000人と少なくない。首都圏では約3600人で、うち、がん研有明病院で再建手術を受けた人は、400人弱にのぼるという。1病院で首都圏の乳房再建手術の、10分の1以上を担っているわけだ。

いかに自然な美しい胸をつくるか

有明病院は患者の受け入れが多いがんの専門病院というばかりではなく、研究機関としての機能も兼ね備えている。ここに単なる乳房再建の腕がいいというだけのドクターではない、前田さんの形成外科医としての矜持がある。

「この病院に勤務し始めてすぐ、手術に卓越した技術を持つ形成外科医に出会ったんです。その先生には乳房再建に限らず、さまざまな技術を教えて頂きました。その先生の指導のもと、がむしゃらに働いてきた結果、徐々に大きな仕事を任せてもらえるようになったんです」

現在、前田さんは乳房再建についての学会発表をしたり、全国から研修に来る形成外科医への指導も積極的に行っている。そんな活動に影響を与えたのは、前述のドクターのひと言だった。「ある時その先生に、『これだけの手術件数をやっていることは、後進に伝える意味があるってことを忘れないように』と言われて……。自分の役割の重さに、気がついたんですね」

「患者さんのために、いかに美しく自然な胸をつくるか。これはQOL(クオリティ・オブ・ライフ)の向上にもつながることです。そこはとても綿密に患者さんと対話しています。一方で、患者さんが満足してくれる乳房再建の技術を広く伝えることも大切な仕事です。このがん研有明病院は、全国から医師が勉強にいらっしゃる研修機関でもあります。現在37歳になりましたが、年配の医師に指導医扱いされるのはおこがましいと思うんですが、全国に治療を必要としている乳がん患者さんたちのために、僕にしかできない乳房再建技術を、一生懸命伝えています」

取材に伺ったのは平日の夜。インタビューを終えて、私服で対応してくれた前田医師は、白衣を脱いでもいい男であった。このあと、担当患者の待つ病室へと颯爽と向かっていった。
森 綾(もり・あや)
大阪府大阪市生まれ。スポーツニッポン新聞大阪本社の新聞記者を経てFM802開局時の編成・広報・宣伝のプロデュースを手がける。92年に上京して独立、女性誌を中心にルポ、エッセイ、コラムなどを多数連載。俳優、タレント、作家、アスリート、経営者など様々な分野で活躍する著名人、のべ2000人以上のインタビュー経験をもつ。著書には女性の生き方に関するものが多い。近著は『一流の女(ひと)が私だけに教えてくれたこと』(マガジンハウス)など。http://moriaya.jimdo.com/

ヒダキトモコ
写真家、日本舞台写真家協会会員。幼少期を米国ボストンで過ごす。会社員を経て写真家に転身。現在各種雑誌で表紙・グラビアを撮影中。各種舞台・音楽祭のオフィシャルカメラマン、CD/DVDジャケット写真、アーティスト写真等を担当。また企業広告、ビジネスパーソンの撮影も多数。好きなたべものはお寿司。http://hidaki.weebly.com/