東洋人初のプリンシパルとして、北欧の地で出産後も活躍し続ける西野麻衣子さん。チャンスを逃がさないための準備は「いつだってできている」と迷いなく語る彼女から、私たちが学ぶこととは? 一時帰国した西野さんの熱いインタビューです。

日本人離れした長い手脚が舞台で優雅に弧を描く。西野麻衣子さんは、ノルウェー国立バレエ団でプリンシパルとして活躍するバレエダンサーだ。15歳で日本を飛び出し、異国の地で体と精神を鍛え上げて美を追求するバレエに身を捧げてきた。そして25歳の時、バレエ団のトップ、プリンシパルの座を手にする。大勢の観客を魅了し、喝采を浴びる華やかな日々。しかし西野さんは、まさにキャリアの絶頂期に「母になる」決断をする。

ノルウェー国立バレエ団でプリンシパルを務める西野麻衣子さん。長身と長い手足に恵まれ、幼少よりバレエに打ち込んできた。バレエダンサーとしての実績と自信に裏打ちされた、まっすぐな視線が印象的だ。一児の母。

キャリアも、家庭も諦めない。そんな彼女の生き方にフォーカスしたドキュメンタリー映画『Maiko ふたたびの白鳥』が2月20日から日本公開される。妊娠、出産を経て、舞台への復帰を目指す姿をカメラが追う。舞台に戻るには、体力を回復し、妊娠・出産で崩れた体のバランスを整えることが大前提。しかも、彼女が復帰作に選んだのは、デビュー作でもある「白鳥の湖」。肉体的にも精神的にもハードな演目だ。復帰決断から舞台初日までわずか7カ月。再びトップダンサーとしてステージに舞い戻ることができるのか――。

映画のプロモーションのため、一時帰国をした西野麻衣子さんに、その強さとしなやかさの原点について、また、ノルウェーでの子育てについて、話を聞いた。

プリンシパルに抜擢された日

「チャンスは逃がさない」。映画は、冒頭から西野さんのこんな強い口調で始まる。25歳でノルウェー国立バレエ団の東洋人初のプリンシパルに抜擢された西野さん。その足がかりとなるチャンスは21歳の時に巡ってきた。その時の心境はどうだったのだろうか?

「土曜日の夜の公演後に当時のプリンシパルが怪我をして、舞台監督から『月曜の公演に出られるか?』と聞かれたんです。3つの作品からなるネオ・クラシックバレエで30分ほどの作品だったのですが、その短い時間のなかに難しいパ・ド・ドゥ(男女2人のダンサーで踊る作品の見せ場)が5つもある。しかも、打診をされたのは、私自身も膿んでいた足の爪を取ることになっていた日でした」

いつだって準備はできている!

本番まで中1日。でも、「今しかない」と、西野さんには寸分のためらいもなかった。

このアグレッシブな姿勢には、バレエ団の同僚たちも舌を巻いたという。「舞台の上でリラックスしていたのが信じられないって言われたのを覚えています(笑)。だって、やるべきことをやったら、舞台の上で焦ってもどうしようもないじゃないですか。私にとっては、舞台に上がっている時が一番リラックスできるんです。準備さえできていれば、あとは自分次第だと思います」

「チャンスって、いつ来るか分からない。1年後か、2年後か、10年後か。ひょっとしたら来ないかもしれない。だから、絶対に逃したくなかった。チャンスをつかんで絶対に自分のものにしたいと思いました」。そう語る西野さんのまなざしは、曇りがなくまっすぐだ。

ライブであるバレエの舞台に失敗はつきものだが、「準備ができてさえいれば、たとえ舞台の上で失敗しても、泣くことはないです」と言い切る。「もし準備ができてない状態で舞台に上がると、ものすごく悔いが残ると思います。150%練習して、舞台でコケる方がマシですね」

訪れたチャンスをつかむ勇気と、舞台で最大のパフォーマンスを発揮する余裕。そこには、でき得る限りの準備に裏打ちされた西野さんの自信がある。そしてもう一つはやはり「いつ来るかわからないチャンスを逃してはならない」という思いだ。

「もちろん、ビビってしまってノーと言うダンサーもいます。“I'm not ready”って。でも私は、“You never ready”(いつだって準備はできていない)って思うんです。母になるのもそうです。“今、子どもが欲しい”と願っても、思い通りにできるものではない。だから、妊娠が分かった時、“今これをつかみたい!”って思いました」

15歳でバレエ留学を決めてからというもの、西野さんの決断には迷いがない。

「それは、迷っている時間がないからです。バレエダンサーって、本当に短い期間しか踊ることができない。華は30歳ですね。それまでにどれだけ経験を増やして、華の時期をエンジョイできるかどうかです」

母となった今だから、どれだけ短時間で結果を出すかが重要

バレエ団のプリンシパルという立場は、大きなプレッシャーとの闘いの連続だ。「私だけではなく、カンパニー全体をよく見て、演目の重要性や課せられている重さなど、何もかも分かりながら舞台に出ないといけません。特に『白鳥の湖』なんて、脇役は大変なんですよ。ずっと立ちっぱなしの踊りっぱなし。彼女たちが脇を飾ってくれるから、私がいるんです」

当然、西野さんのコンディション次第では主役を取って代わろうと、チャンスを狙う後輩たちからの無言のプレッシャーもある。それでも、カンパニーを背負って立つ重責を担い、トップで踊り続けるために努力する理由は、「自分がいつまでも輝いていたいから」。母親になったプリンシパルの中には、そうしたプレッシャーに耐えることより、母親業に時間を費やすことを選んでプリンシパルを降りる人もいるという。しかし、「それは私じゃない」と西野さんは語気を強める。

「若いダンサーたちは、テクニック的に私より強い部分もあります。一方で、10歳若いダンサーと私では、比べるものが全然違う、私には彼女たちにない経験があります。また、若いダンサーの“上に行きたい”というハングリー精神は、必要なもの。だから自分がトップにいたいと思うのであれば、彼女たちより2倍、3倍努力しないといけない。

子どもがいるとトレーニングや自分をケアする時間がないので、どれだけ短い時間で、自分をベストの状態にして舞台に立てるのかが重要になってきます。母親になる前にはなかったプレッシャーとストレスがありますが、今はそれをすごくエンジョイできています。舞台のプレッシャーがとても好きなんですよね」

出産後、「踊りがディープになった」と同僚のダンサーから言われるという。自身にとって、「踊る悦びとは何か」と聞くと、「バレエは私にとって“職業”ではなく、“人生”そのもの。何もかもが好き」という力強い言葉が返ってきた。

「バレエで痛くなる体も好き(笑)。筋肉痛も、そこまで自分をプッシュして仕事をしたからこその痛みですから。ハードワークも好き、プレッシャーも好き。バレエから与えられる何もかもの経験が大好きです」

※後編は2/5の配信予定です。

西野麻衣子
大阪府生まれ。6歳よりバレエを始め、橋本幸代バレエスクール、スイスのハンス・マイスター氏に学ぶ。1996年、15歳で英国ロイヤルバレエスクールに留学。19歳でオーディションに合格し、ノルウェー国立バレエ団に入団。25歳の時、同バレエ団で東洋人初のプリンシパルに抜擢される。同年、「白鳥の湖」全幕でオデット(白鳥)とオディール(黒鳥)を演じ分けたことが評価され、芸術活動に貢献した人に贈られる「ノルウェー評論文化賞」を受賞。同バレエ団の永久契約ダンサーとして活躍中。
『Maiko ふたたびの白鳥』
監督=オセ・スベンハイム・ドリブネス
出演=西野麻衣子、西野衣津栄 ほか
提供=ハピネット 配給=ハピネット、ミモザフィルムズ
2015年/ノルウェー/70分
公式HP(http://www.maiko-movie.com/
■2月20日(土)よりヒューマントラストシネマ有楽町、YEBISU GARDEN CINEMAほか全国順次公開