妊娠・出産というライフイベントをどう乗り越えるかは、働く女性にとって大きな問題の一つだ。グーグルで働く女性たちは、このハードルを軽やかに越えているかに見える。働きやすい会社ランキングで常に上位に位置するグーグルとそれ以外の会社では、いったい、何がどう違うのだろう?

会議室に入ってきたとき、エンジニアの安田絹子氏はパソコンを抱え、左手首にサポーターを巻いていた。「けんしょう炎ですか?」。尋ねると、笑ってこう答えた。

「仕事じゃなくて、子どもを抱っこしていたら、なってしまいました」

ソフトウェア・エンジニア マネジャー 安田絹子氏「母業とマネジメント。働き方を変えるなら両方同時に学ぼうと思った」

半年間の育児休暇を終えて、今年4月に職場復帰したばかり。アメリカ、イギリス、スイス、オーストラリアなど世界中のエンジニアたちとやりとりをしながら、「Chrome(クローム)」などの開発に携わっている。

3~5人のチームを率いて仕事をすることは産休以前からあったが、復帰と同時に、肩書もマネジャーになった。時短勤務のままマネジャーになった例は、グーグルでも珍しい。

「産むまでは会社にダラダラいることも多かったんです。子どもができてからは、どうしたって早く帰らないといけなくなるだろうなと考えていたときに、ちょうどオフラインサービスを強化する『Service Worker』のプロジェクトが立ち上がりました」

普通なら、仕事か育児かの二者択一で悩む場面だが、彼女は違った。

「ここは縮小するより拡大だ、と思いました。しばらく休むことになるけれど、どうしてもやりたいプロジェクトだったから、人員を増やしてもらえないかとあちらこちらに声をかけて、手伝ってもらうことにしたんです」

オフィスには、社員がいつでも気軽に立ち寄れる個性豊かなオープンスペースがいくつもある。そこで偶然出会った同僚との立ち話から、新しいアイデアが生まれることもある。軽食と飲み物を備えた「マイクロキッチン」は福利厚生というよりも、そうした偶発性を生み出す舞台装置として機能している。

もともとPC片手に好きな場所で仕事をすることの多かった安田氏だが、子どもができてからは、自宅キッチンが思考の場になることも多くなった。家事をしながら思いついたことを書き留めておけるように、壁にホワイトボードを取り付けている。

「子どもができて大きく変わったのは、一日のうち、頭の中で何度もオンとオフを切り替えなくてはならなくなったこと」

家事や育児もITでもっと楽しく

何をどう改善し、誰にそれを依頼するか、など仕事に関するメモの横に、「ネギを買う」などプライベートな予定も記す。鍋が煮えるのを待つ間、同僚とチャットすることもある。同僚とは時々、互いの子どもの話で盛り上がる。考えてみれば、以前は仕事の話に終始していた。

【写真上】「Googleイノベーションラボ」では、企業でダイバーシティ推進に取り組んでいる人たちを対象にワークショップを開催。多様な働き方を推進する取り組みの一つ。【写真下】六本木ヒルズにある本社。受付に入ると、カラフルなロゴが目に入る。奥にはガラス張りの図書コーナーが。

「最近思うのは、家事や育児もITでもっと楽しくできないかということ。育休中に子どもが遊べるゲームのプログラムを組んでみたんですけれど、そういうのをママエンジニアが集まって作ってみたら、おもしろいかな」

子育てとマネジメントの両立に関してはいまだ試行錯誤の段階と語りながらも、表情にはどこか余裕があった。

「じつは、今朝も4つほどミーティングをしてから出社しました」と、APACブランド&マーケティング担当CMO マネージングディレクターの岩村水樹氏は言った。小学生2人の子を持つ母親で、月に1度は海外出張している。取材日の朝は私用があり、どうしても在宅の必要性があったのだという。そんなとき、グーグルでは、誰でも普通に「ワーク・フロム・ホーム(自宅で仕事)」ができる。

「自宅で用事を済ませながら、そのまま会議へ。パソコンを使ってアメリカ、シンガポール、オーストラリア、台湾の4拠点と結びます」

太平洋を横断して仕事をしていると、早朝か夜間の会議が多くなる。そんなときも、テクノロジーが役に立つ。

会議をしようかとパソコンを開けば、子どもたちが興味津々で寄ってくることもある。最初のうちは、娘たちが画面に映り込んでしまうことを気にしていた岩村氏だったが、みなが「Hello!」と子どもたちに声をかける様子を見て、「これが当たり前なんだ」と思うようになった。

グーグルでは、移動時間も含めた予定はすべて「Googleカレンダー」に書き込み、社内で共有している。岩村氏はカレンダーに、子どもの運動会や遠足など、プライベートな予定も書き込むという。

入社して8年半。最初はプライベートな予定まで書き込むことには抵抗もあった岩村氏だが、最近では、その効用のほうが大きいと感じている。

「誰が子どものお迎えに行かなければならないか、いつ空いているのかなども一目瞭然で、相互理解も進みますし、ごく自然と助け合えるようになります」

一人で静かに考えをまとめたいときは、カレンダーにDNS(Do not schedule. 邪魔しないでね)と書いておく。

家庭と職場をシームレスに行き来

「日本では、働く女性の約6割が出産をきっかけに会社を辞めています。その結果、女性管理職を増やしたくても、増やせない状況が続いている。時間と場所に縛られないフレキシブルな働き方ができるならば、出産後も仕事を続けたいと考える女性は多いはず。それを、私たちはテクノロジーで支援したい」と、岩村氏は言う。

APACブランド&マーケティング担当CMO マネージングディレクター 岩村水樹氏「テレビ会議の画面に子どもが映り込んでも、誰も気にしません」

社内外の働く女性を応援する活動を、グーグルでは「Women@Google(ウーマン アット グーグル)」と呼んでいる。岩村氏はそのリーダーでもある。彼女がしばしば使う「家族をチームに、チームを家族に」という言葉は、かつての日本的家族主義経営を思い起こさせる。しかし、2つは根本的に違うものだ。

グーグルに代表されるアメリカの先端企業は、働く個人に最大限の自由を与え、時間と場所の縛りから解放することで、組織へのコミットメントを高めようとしている。家庭を会社に取り込もうとするのではなく、テクノロジーを使い、従業員が家庭と職場をシームレスに行き来することができる環境を整えることで、組織としてのパフォーマンスを最大化しようとする。在宅で勤務することはあくまで日常的に許された選択肢の一つであり、特別に許可されたものではない。制度上ある「在宅勤務」とは、その点が大きく異なっている。