インテル日本法人で、女性として初めてトップに就任した江田麻季子さん。「いままでになかったもの」をつくる会社を率いるために、本を読むことは欠かせなかったという。

次を生み出し続けるための読書

インテルは半導体を作っている会社です。半導体はコンピュータの基盤であり、大変なスピードで進化を遂げていくものでもあります。20年前のパソコンを思い出してほしいのですが、机の上に中型テレビぐらいの大きなCRT(ブラウン管)を置いていましたよね。それがいまでは、腕時計サイズのウエアラブル端末が実用化されているのですから、変化のスピードがいかに速いかわかっていただけると思います。

江田麻季子さん

半導体が小さくなり高性能になることで、それを使ってつくれるものの可能性はどんどん広がっていきますが、その新しいものは宿命的に「いままでになかったもの」でなければなりません。ですからインテルという会社も、次へ次へという挑戦を常に継続しなければならない宿命にあります。

「いままでになかったもの」をつくるために、私はたくさんのビジネス書を読んできました。特に7~8年くらい前からは、ビジネスモデルに関する本をよく読むようになりました。

というのもインテルには、現在抱えているビジネスの問題をどう解決するかを、何週間か泊まり込んで延々と議論する集中的なリーダーシップのトレーニングがあり、私もそれに参加するようになったのがきっかけです。

そうした場では、自分が日常やっている仕事から離れて、広い視野を持って議論をしなくてはなりません。それにはやはり、知識や教養を深めるための読書が不可欠なのです。

最近読んだ『ビジネスモデル全史』は、切り口が斬新でとても面白い本でした。何が斬新かというと、異なる時代に革新的なビジネスモデルを創造した人物同士の、架空の対談が載っているのです。たとえば、三越の前身、越後屋を創業した三井高利とシリコンバレーの生みの親であるフレッド・ターマンの対談なんてものが出てきます。人選も面白いのですが、異なる時代を生きたイノベーターを対談させることによって、ビジネスモデルの変遷を歴史観をもって俯瞰(ふかん)できる仕掛けになっていて、その点がとても刺激的でした。

【写真上】『ビジネスモデル史』【写真下】『「幸せ」の決まり方』

私がインテルに入社するきっかけになった本に、インテルの創業メンバーの一人であるアンドリュー・グローブの『Only the Paranoid Survive』があります。私は1990年代のほとんどをアメリカで過ごしましたが、アンディーは97年にTIME誌の“Man of the Year”に選ばれ、インテルはアメリカで注目を集めている企業でした。

私はアンディーの本を読んでインテルに興味を持ち、後に、まったく偶然にインテルからオファーを受けたのですが、アンディーの本のどこに共感したかというと、それは彼の持っている危機感でした。移民の子としてアメリカに渡ってきたアンディーには、いつどこに人生の落とし穴が開いているかわからないという危機感が常にあったのですね。だから慢心することなく、いつも高みを目指して生きていた。

「いままでになかったもの」をつくり続けるためには、アンディーのような向上心が重要だと思います。私自身も、「常に高いところを目指したい」という強迫観念めいたものを抱えているとても貪欲な人間。ある仕事に熟練して簡単にできるようになると、やり方を変えたほうがいいんじゃないか、もっと別の見方があるのではないかと考えてしまう。常に現状に満足することがないという意味では、案外リーダーに向いた性格なのかもしれません。

「いままでになかったもの」をつくるために、たくさんのビジネス書を読んできました。

最近IT業界では、半導体がいまよりもっと小さくなって、ありとあらゆるものに人工知能が応用されるようになったら、人類の能力を超えてしまうのではないかという議論が盛んです。IoT(Internet of Things)という言葉も流行していますが、世の中のあらゆるものがインターネットに接続されるようになったら、社会はどう変わるのかという議論もよくされています。

ITは、人間がより豊かに、より幸福に生活するための技術であるはずですが、そもそも幸せとは何なのかといったことは、IT業界が突き詰めて考えていかなければならないテーマだと私は思うのです。『「幸せ」の決まり方』は、そんな問題意識から手に取った一冊です。想像以上にアカデミックな内容の本でしたが、幸福とは何かを考える際の「角度」は、とても参考になりました。

読んでは、頭の中でぐるぐる考える

一方、村上春樹の『女のいない男たち』は、仕事とはまったく関係のない本なのですが、日本語の美しさ、表現の深さにとても感銘を受けました。

『女のいない男たち』

表現の深さを、それこそ言葉で表現するのは難しいことですが、この本は言葉にできないことを言葉にしていると私は感じました。読んでいて「ああ、こういう感情になることってあるな」と思う場面がたびたび出てくるのですが、そういう感情を直接的に形容すると、「虚無感を覚えた」とか「孤独を感じた」という表現になってしまう。でも、村上さんは、そういう安直な形容を絶対にしないのです。

丁寧な描写を重ねていって、いわば点描画のように、少し離れたところから眺めるとある感情がくっきりと浮かび上がってくる。

ITが社会の隅々に浸透すると、先ほどの幸福とは何か、どのように幸福を実現するか、という議論と同時に、ITはどのような付加価値を社会に与えていくべきなのかという定性的な議論が不可欠になってきます。たとえば、いまドローンが話題になっていますが、ドローンにはものすごくたくさんの使い方が考えられます。社会を豊かにする使い方もあれば、その反対の使い方もできる。もちろん、人間を幸福にするために使われるべきですが、そうなるためには、何が社会を豊かにし人間を幸福にするのかといったことに関して、大げさにいえば、人類共通のコンセンサスを醸成していく必要があると私は思うのです。

もちろん、考え方の多様性は担保されるべきですが、たとえば「(地域によっては行われている)子どもに強制的に労働させるのはよくない」といったことは、世界中でコンセンサスを得られる考え方だと思います。そうしたコンセンサスを醸成していくうえで、村上さんの作品のように高い芸術性を備えた本が世界中で翻訳され共有されていくことは、とても意味のあることではないかと思うのです。

私はよくaggressiveだと言われますが、読書は人間をintrospectiveにします。内省的と訳すとちょっと暗い感じがしますが、本を読んでは頭の中でぐるぐるぐるぐる考え続けることが、新しいアクションへの原動力になるのではないかと常々思っています。

●好きな書店
代官山 蔦屋書店

●好きな読書の場所
自宅、移動中、出張先

●好きな作家
特になし

江田麻季子
東京都出身。1988年、早稲田大学第一文学部卒業、90年アメリカの大学院修了後、アメリカの大学や病院でマーケティングに携わる。2000年インテル日本法人入社。マーケティング本部長などを経て、13年よりインテル日本法人社長。