助役になるのは怖かった

JR東日本 立川車掌区区長 久保素弥子さん

正直に言えば人事の担当者から助役の話をもらったとき、私は全く乗り気ではありませんでした。駅の助役という仕事にはとても過酷なイメージがあったからです。様々なお客様が出入りする駅の中で、助役はお客様からの苦情に対応したり、お酒に酔った方とのやり取り、ときには人身事故での救助といったシビアな状況にも責任を持たなければなりません。それまで旅行関係のご相談窓口にいた私は不安で堪らず、仕事をきちんとやり遂げる自信がどうしても持てませんでした。

ところが、人事の担当者は「これからは女性も男性も区別なく、どんな職場であれ活躍していかなければならない」と強く考えていたそうです。というのも、私が入社した頃は女性が少ない会社であったがゆえに、女性社員に対して過剰に配慮しているところがあったんです。「女性社員につらい仕事をさせるのはかわいそうだ」「駅ではなくもっときれいで優しい仕事をしてもらえばいい」……そんな声が一部に根強くあって、それは私が旅行の窓口に配属された一つの背景でもあったと思います。

でも、女性社員だから厳しい職場を体験させないというのでは、いつまで経っても男女が対等になりません。人事の担当者はその風潮を変えていく必要性を感じており、周囲の懸念の声を押し切って私を助役にしたようです。

恐かったですね。何しろ八王子支社の初めての女性の助役、管理者になるわけです。気負いもありました。だってここで私がコケたら、「やっぱり女に助役は無理なんだよ。ほら、かわいそうだったじゃないか」という声が出てくるかもしれない。そうなると後輩の道を閉ざすことにもなりかねない。

ただ、不安がる私の背中を上司がこう言って押してくれて、決心がついたんです。

「助役といっても完璧に仕事をする必要はないんだよ。駅長に次ぐ責任者だから、もちろん社員からいろんなことを頼まれると思う。そのときに全部をかなえなくてもいい。6割くらいかなえられれば、今度来た助役さんは良くできる人だと言われるはずだよ。6割を目指せばいいんだからね」

振り返ると今の自分があるのは、その言葉や人事部の判断のお陰だと思っています。なぜなら助役を経験したことによって、私は自分がこの会社の中でキャリアを積んでいくことの意味を自覚するようになったからです。

最初の仕事は鈴虫の飼育

そうそう、ちょっと面白かったのは、八王子駅に配属されてすぐの仕事が鈴虫を育てることだったんですよ。八王子駅では面白い先輩助役に恵まれて、彼らはイベントが大好きだったんです。それで、私が異動したときに計画していたのが、お客様に鈴虫をプレゼントしようというもの。駅の大き目の会議室にケースを並べて、数千匹という鈴虫を飼って育てたのですが、夜になるとうるさくて寝れないくらいで。私の助役としての初仕事は、その鈴虫たちにひたすらキュウリを切って餌をあげることでした。助役っていうのは、こんなことまでやるんだと思いましたね。

一方で駅の業務では、マネジメントの基本を教えてもらう日々でした。本格的に仕事の厳しさを知ったのは次に異動した国分寺駅です。国分寺くらいの規模の駅では、クレームが業務時間中に1度もなかったらとても平和な1日という感じがします。例えばこちらに粗相があって苦情があると、「責任者を呼べ、駅長を出せ」と興奮していらっしゃるお客様に責任者として対応するのは助役の役割です。「女じゃだめだ、男を出せ」と仰る方もいましたが、助役はあくまでも私。一生懸命に態度と行動で信頼してもらうしかありません。

国分寺駅ではこんなこともありました。

平成15年に中央線の連続立体交差化事業の第1回目が行われたとき、国分寺駅は工事の拠点となる駅でした。その際、朝6時に終了予定だった工事が大幅に遅れ、お客様に大変なご迷惑をおかけすることになりました。

私はそのお客様対応の責任者でした。朝動くはずの電車が昼過ぎまで動かなかったわけですから、駅は大混乱です。改札の前にロープを張って、押し寄せたお客様の前に立ち「申し訳ございません。まだ列車が動いていませんので、駅の中にはお入りいただけません」とハンドマイクで繰り返しご説明するのですが、怒声が飛んであちこちでお客様同士が言い争いを始めるという状態でした。それは私にとって鉄道というインフラの意味を実感した瞬間でした。皆さまの足を守るとはどういうことなのか。これほど重要な仕事を私たちは担っているんだと思い、当社の存在意義をますます実感することになったんです。

「ちょっと無理かも」がキャリアの分かれ道

旅行窓口に長くいた私は、そうした厳しい現場での経験がこれまで不足していました。でも、それが最初は恐れていたことであっても、実際に体験すると仕事というのは自分が「ちょっと無理かもしれないな」と思うくらいの困難を乗り越えることで、初めて力が付くんだということを実感するものなのですね。

その意味で私が学んだのは、やり遂げられるか自信のない仕事を任されたとき、「ちょっと難しいけれどやってみよう」と思うか、「私には無理だ」と思うかというところにキャリアの分かれ道があるんだということです。その選択によって人生の充実度もずいぶんと変わってくる。

だから、男女に関係なく仕事に不安や迷いを抱えている後輩に言っているのは、「あなたは自信がないかもしれない。でも、この人には絶対できないという仕事は、そもそも回ってこないんだよ」という言葉です。どんなに自分には難しそうに見える仕事でも、周囲があなたにはきっとできると思っているから、頼まれる。今の自分を信じられなくても、周りの人を信じてチャレンジしてみなさい、と。

もし迷ったまま前に進まなければ、次の世界は見えてきません。私は助役の後に国立駅の駅長になりましたが、駅長という仕事に対する憧れも、助役を経験して始めて抱き始めた目標でした。若い人たちを伸ばし、成長させる役割を担う区長や駅長という立場になって、とりわけ強く意識するようになった思いですね。

●手放せない仕事道具
制帽。駅長などの役職にかかわらず、現場の必需品。

●ストレス発散法
音楽好きなので、社内オーケストラに所属して、バイオリンを弾いています。職場を超えて、日頃様々な仕事に取り組んでいる気の合う仲間たちと練習に励むのはとっても楽しいです。

●好きな言葉
誠実

JR東日本 立川車掌区区長
久保素弥子
(くぼ・すみこ)
山梨県出身。1990年入社。東京駅、広報課などの勤務を経て、2000年に八王子駅、続いて国分寺駅の助役に。その後は人事関係、お客さまサービス関係の業務にも携わり、11年中央線国立駅長に就任。14年5月より現職。大学講師の夫と2人暮らし。