怒られてばかりの教習の日々
教習は厳しかったです。お客様の命を預かる仕事をする人を鍛える教習ですから、当然ですよね。
学科の期間が終わった後、実技では教習生一人ひとりに指導運転士がつくのですが、私はいつも怒られてばっかりで。景色がきれいだな、なんて考えている余裕はありませんでした。運転士であるからには身だしなみもきちんとしていなければならないので、名札がちょっと曲がっていただけでも怒鳴られますから。
それから電車というのは規則に則って運行することが何よりも大切なので、信号の喚呼から始まって、使う機器も使わない機器も全て同じ順番でチェックしていくんです。その順序を間違えると、「君には運転をさせない。そこに立ってろ」とよく言われました。毎日、あまりに怒られるのですごくつらくて、もう嫌だと思ったこともありました。実際に同期の教習生の中には、途中で脱落していく人もいました。
ただ、それでも運転士に絶対になるんだという気持ちだけは強かったので、私はやめようと思ったことはありませんでした。初めて「運転席に座ってごらん」と言われ、ノッチを入れて電車が動き出した瞬間は今でも忘れられませんし、教習期間中は会社がアパートを借りてくれていて、もう1人の女性運転士希望の先輩と6畳2間に相部屋だったので、お互いに話をして気を紛らわせられたのも大きかったですね。
10カ月間続いた教習では最後に試験があります。その日は試験官の人たちが何人か運転台にきて、1人で電車の運行から故障措置までの全てを行わなければなりません。
緊張で頭が真っ白になりそうでした。でも、電車の運転では何か事故や故障があったとき、焦ることなく冷静さを保って、時間がどんどん過ぎていく中で正確に運行を再開させる力が必要です。試験では運転台にドミノのようなものが置かれて、それが倒れないように衝動が少ないブレーキ操作が求められます。停止位置は1m以内、実際には10cmくらいに収めてやっと合格点。駅に停止する度に巻尺で測られるのですが、あんなに緊張したことはこれまでありませんでした。閉講式の後の懇親会では、みんなが抱き合って泣いているような雰囲気だったんですよ。
諦めなくて良かった
操縦者免許は秩父鉄道に戻ってきて、しばらくしてから地方運輸局に於いて交付されます。これは昔からよく言われているそうですが、電車の免許の写真は更新されるということがないんです。だから、何年経ってもそこには教習所を卒業した時の顔があって、「それを見て初心を忘れるな」と先輩たちから伝えられました。
いま、それから5年が経って胸に抱くのは、やっぱり運転士になることを諦めないで良かったという気持ちです。
女性運転士はまだまだ珍しいので、仕事中にお客様に話しかけられることも多いんですね。「がんばってね」と言われたり、子供が沿線から手を振ってくれたり。通学の中高生の女の子が私を見て、「こういう仕事もできるんだ」と言っていたりすると本当に嬉しいですね。電車や機関車には車種ごとに特徴があって、まだまだ自分が納得できるような運転はできていなので、毎日が研究です。
仕事は6週間で一周するシフト制で、始発だと4時45分の出勤からお昼頃まで、夕方からであれば24時14分の勤務までととても時間が不規則です。寝坊する夢をときどき見るし、絶対に寝過ごさないように目覚まし時計もいくつも用意している日々です。
厳しい規則の中で働くので大変なこともあるけれど、憧れて自分がなりたいと思った仕事。笑顔でいることを忘れずに、電車を運転することを楽しみたいと思いながら、できるだけ長いあいだ続けていきたいです。
●手放せない仕事道具
帽子、手袋、懐中時計
●ストレス発散法
走ること。1日10km~20km走ることも
●好きな言葉
笑顔を忘れずに
1986年埼玉県出身。2007年秩父鉄道株式会社入社。御花畑駅員、車掌見習いを経て、運転士養成のための教習所に入所。2009年甲種動力車操縦者運転免許証を取得し現職となる。