入社試験はマツダしか受けなかった
いまの立場になるそれまでは、弊社の評価ドライバー(テストドライバー)を長く務めてきた経歴を持っています。
評価ドライバーになることは、入社した頃からの希望でした。1997年の入社当時は電子部品の部署に配属されたのですが、いつかは日々の仕事の中でクルマを運転する部署に行きたいと思っていて。もともと学生時代からクルマが好きで、地元は広島でしたから入社試験もマツダしか受けなかったくらいなんです。そんななか、女性の評価ドライバーを育成しようという話が社内で持ち上がった際、声をかけてもらったんですよ。
弊社には試験走行のできる速度域ごとにライセンスが5段階あり、その上の特別ライセンスが3段階あって、私は特別ライセンスを持つ唯一の女性です。
テストドライバー時代は総合商品評価という仕事をしてきました。走る、曲がる、止まる、振動、音、視界、ドライビングポジション、触った時の触感――とクルマをお客様の視点であらゆる点で評価するんです。
自社のクルマは開発段階のものも含めてもちろんすべて乗りますし、他社の車種もできる限り多く乗っては、それについてのレポートを書く毎日でした。RX-8で北海道の耐寒テストに行ったり、アメリカでアクセラの評価ドライブを行ったりと出張も多くて、全ての車種に思い出があります。
出来る限り多くの車種に乗る
クルマの開発や評価をする際には「物差し」が大事になります。例えば30cmの物差しがあって、左側が悪い、右側が良いとするなら、この車はその間のどの位置にあるのか。それを計るのがクルマを評価することの本質です。だから、価格の安いクルマも最上級の高級車も分け隔てなくたくさん乗って、まずは自分の物差しを確かなものにしていく。新人の頃はそれが乏しいので、何を言っても参考意見としてしか受け入れてもらえなかったものです。
次に先輩から繰り返し言われたのは、「運転技術というのは早く走れる能力ではないぞ」ということ。
テストコースや市街地を走るとき、1周目は時速40km、2周目は時速60kmと全く同じように運転する能力が、私たちにとっての「運転技術」です。時速20kmでも200kmでも安定して、同じように心のゆとりをもって走らせる技術ですね。RX-7を200kmで走らせているとき、走らせることだけに精いっぱいになってしまったら、音やハンドルからのインフォメーションが感じられなくなってしまいますから。
また、運転の技能が上がると、今度は消費者の人たちと自分との差が分からなくなりがちなので、それにも普段から注意が必要です。なので、評価会で社内の女性や友達の話を聞き、一般の人の運転のやり方を普段からよく見て、自分でもやってみるようにしています。いろんなユーザーの方の使い方を理解するために、正しい運転姿勢だけではなく、シートをいっぱいに上げてみたり、適切な運転姿勢を敢えて崩して運転したりするわけです。正しい運転の仕方に馴染んでいる自分たちが特殊なんだと思わないと、車の開発は間違えると思います。
クルマ開発にゴールはない
私にとって約10年間の評価ドライバーとしての経験は、車両開発をする上での土台のようなものですね。
評価ドライバーを続けていると、クルマの開発というのはゴールが全くない世界であることを実感します。例えばドイツの高級車メーカーのクルマなんかに乗ると、50年前のモデルも最新モデルもしっかりとした乗り味に感動します。その度に自分たちもがんばらないといけない、とあらためて思いますよね。
今のように実際にデミオの開発をしていると、「自分たちはがんばった、うちのクルマがんばった」と感じられる瞬間が確かにあるんです。
でも、私たちが一歩一歩と進んでいると感じているその瞬間、他社のクルマもまた、同じように進んでいる。1日単位、1時間単位で「もっとこうすればよかった」と思ってばかりですが、全てのライバルが常に全速力で走っている中、自分たちもそれ以上に懸命に走り続けようとするところに、この仕事の醍醐味があると感じています。
●手放せない仕事道具
ヘルメット
●ストレス発散法
笑うこと。スキーやテニス、登山などのアウトドア
●好きな言葉
ありがとう
1974年広島県出身。大学卒業後、97年マツダ(株)入社、電子技術開発部ワイヤーハーネス設計Gr.配属。99年開発・評価ドライバーとして評価専門チームに異動し、自他銘柄車の総合商品性評価を担当。06年車両開発本部へ異動、新世代商品群の技術開発を担当。2011年より現職。