同じ仕事では成長しない
女性の場合、同じ部署にずっといるケースがよくあります。定期的に異動する男性社員に比べて、同じところにいるベテランの女性社員は「あれお願い」といえばさっとやってくれるので便利な存在です。女性自身も自分の経験を積んだ仕事で勝負したがり、初めての仕事には「やったことがないのでできません」と拒否しがちです。でも会社は一芸だけでわたっていける場所ではありません。もちろん専門性はキャリアの後ろ盾になるものですが、それ以上にいろんな経験が武器になります。
私も入社からの10年強を人事部教育課で過ごしました。その間、語学研修、新人研修、管理職研修とそれなりにやっていたつもりですが、慣れもあったのでしょう。新しく来た課長に「どんなにその人に向いている仕事でも同じ仕事を続けては成長しない。あなたはこのままでどうなると思ってるの?」と言われました。そしてその上司が懸命に行先を探してくれました。
移った先が欧州へ完成車や部品を輸出する欧州オペレーション部でした。それまでは完成車の輸出が主体の部門だったのですが、現地生産の進展に伴って海外工場との契約をまとめ、現地生産に必要な部品を送る業務が拡大していました。まったく新しい仕事をするのですから男女に関係なく同じスタートラインに立てたことはラッキーでした。
“女性らしさ”からの解放
オペレーション部に配属され、実際に開発から工場でどのようにモノができるのかを見られ、メーカーを選んでよかったと思いました。加えてうれしかったのが、女性らしさを要求されなくなったことでした。人事部にいたときはなんだかんだと言っても「女性らしい発想」とか「女性目線での企画」を求められたのですが、モノづくりの場で大事なのは品質の向上、生産の効率化、コストの削減といった、まったく男女に関係のないものです。とても解放された気分でした。
94年からは課長として生産管理のベテランの中に入って仕事をすることになりました。ここでは現地と日本の工場をできるだけ直結させる新しい取り組みを始めました。両者の間で本社がメッセンジャーボーイを務めるよりは現場同士が直接やり取りしたほうがいいと会社は考えたのです。そのために思い込みも含めて今までのやり方を変えていかなければいけません。このとき上司の部長(現・野路國夫会長)からデータで人を説得する方法を学びました。
抽象的な話はまったくしない部長で、「生データを見せてみろ」と言う人です。例えば油圧ショベルの仕様をお客様が何から何までフルチョイスできるのが会社のレベルの高さであると思われていましたが、部長はデータを示しながら「お客様にはどうしても譲れないものはあるが、すべてがそうじゃない。丹念に見ていれば売れ筋のパターン化ができる」と思い込みの払しょくを図りました。
念願の現場へ
99年の大阪工場への異動もチャレンジでした。生産管理の仕事についていたとはいえ、20年間本社勤めで「浦野は現場を知らない」「ご本社様はいいよね」と言われていましたし、自分でも現場を経験していない引け目がありました。「本社以外で行けるところならどこでもいいです」とお願いして実現したのが大阪工場でした。見知らぬ土地で、知識も経験もない中での赴任でしたが工場の人たちに助けられました。現場では安全や品質を守る為に指示命令系統がしっかりしていて、職位へのリスペクトがあるのです。新しく来た管理職が仕事に不慣れでも、それをサポートするのが自分たちの役割だと考えています。それに関西の人たちは性格的に困っている人をほっておけない。
しかし仕事には大きなプレッシャーがありました。01~02年はちょうど業績のV字回復のどん底にあった時代です。会社から「在庫やコストを3分の1に減らせ」と根本的な業務の見直しを迫られていました。少しばかりの改善では許されません。それまで部品を自社の専用トレーラーで運んでいたのをライバル社と手を組んで共同配送するなど発想を変えてコスト削減を図りました。このときわかったのが、高い目標を持つとアイデアのレベルがまったく違ってくるということです。
私は異動のたびにたくさん学んできました。初めての仕事だと、すぐにはできないこともあります。でも詳しい人に聞けばだんだん勘所がわかるでしょうし、自分ができなければ同僚や部下にやってもらうこともできます。だから女性のみなさんは会社からローテーションを勧められたら心配することなくぜひ受けてほしいと思います。新しい仕事には面白いことがいっぱいあります。