育児休業は、休業ではない!

ジャパンタイムズ執行役員 編集・デジタル事業担当 大門小百合さん。

子育てが始まるとまったく自由になる時間がありません。友人と食事に行くことも、洋服を買いに街に出ることもできなくなりました。「育児休業」と言いますが、そんな風に言ってほしくない、休業どころかもっと困難な仕事に移ったという気分でした。

本を読んだり、誰かの講演会に行くといった、それまで当たり前だと思っていたことがどれだけ贅沢だったかを思い知りました。記者なのにインプットがどんどん減っていくことに強い危機感も持ちました。

復帰してからは、髪を振り乱す日々。子どもが病気の時などは、夫とシフトを組んで、昼間は私が子どもを看病し、夕方から出社して夜中まで働くという状態で、寝る時間があまりありませんでした。またある時は、夜、ちょうど子どもに夕食をあげていたときに、重要な緊急会見が開かれるとの知らせを受け、帰宅した夫にバトンタッチして会社に戻ったこともありました。

もちろん、周りから仕事の手を抜いていると思われるのは嫌でした。自分では気が付かなかったのですが、かなり追い込まれていたのでしょう。ある日、部下から「大門さん、ランチを一緒にお願いできますか」と言われ、何か落ち度があったのかな、「辞めたい」と言われるのかなとドキドキしながら昼食の席に着くと、「1人で頑張りすぎないでください。私たちもできることをやりますから」と励まされ、思わず感激してしまいました。温かい言葉をもらい、それからは少し引いた気持ちで仕事を見られるようになりました。

人に任せて仕事を回していくにはどうしたらいいか。そう考えるようになり、デスクの仕事を他のメンバーにも担当してもらう方法を模索しました。ただし急に新しいデスクを採用することはできません。そこで部下の記者から3人を選び、代わる代わるデスクの仕事を任せる「パートタイムデスク」を始めたのです。

みな現場が好きで記者になった人たちですが、デスクの仕事はいろんな記者から入ってくる記事を大量に読むのでとても勉強になります。私自身、デスクになって「こんな書き方があるのか」「私ならこう書くな」と学ぶところが多かったのです。この方法で、私の負担は減り、一方で部下の教育の機会になったのですから良かったと思っています。

当時、部下は25人ほどで半分が外国人でした。育児と仕事を同時に経験すると部下に対して鷹揚になれます。管理職には忍耐が必要ですが、わが子に比べればたやすいものです。部下はきちんと説明すればわかってくれます。ところが幼児に聞き分けがあるはずもなく、「イヤイヤ」の連続でほとほと困ってしまう場面が多いのです。

子育てをするようになり、人に対する観察力が高まりました。幼児はどこか具合が悪くても口で伝えられないので親が察するしかありません。部下のこともじっと観察するようになりました。浮かない様子のときは「最近どう?」と聞くと、「実はちょっとトラぶっていて」という答えが返ってきます。

子育ては仕事に応用できると実感しました。

ほかのメディアにはできないことをやろう

デスク時代で思い出深いのはやはり3.11のときです。このときもパートタイムデスクが大活躍してくれました。本当は真っ先に現場に行きたかったでしょうが、「私たち残りますよ」と言ってくれました。

ページ増への対応や記者の派遣など頭を悩ますことがたくさんありました。一刻も早く記者を現地入りさせたいけれど、福島第一原発の事故で安全性の確保も重要です。誰をどのタイミングで行かせるか、社内調整も含めてとても難しい問題に対処する必要があったのです。

また、英字新聞の特徴を出す紙面づくりも求められました。海外のメディアから「情報がほしい」と依頼が殺到し、CNNやBBCから「今からライブをやるからフクシマの状況をコメントしてくれ」と言われる中で、ほかのメディアができないことをやるべきだろうと考え、外国人の安否確認や、外国人が一番不安に思っている原発事故が起きた今、東京は本当に安全なのかを専門家が解説する記事を掲載しました。

一連の震災関連の記事で、ジャパンタイムズとして本当にやってよかったと思えたのが宮城県の魚の缶詰工場で働くフィリピンの人たちのルポです。難民支援のNGOを通して外国人の安否を尋ねていたとき、多くのフィリピン人女性が缶詰工場で働いていたという情報を得ました。記者が行ってみると、工場は被災し働ける状態ではありません。記者が「ほかの外国人は母国に帰っていますが、あなたたちは国に帰らなくても大丈夫ですか」と尋ねると、「ここにはおとうちゃんもいるし、子どもたちも学校に通っているから、私たちこれからもここで頑張る」と答えたのです。そんな日本にとどまって生きていこうとしている彼女たちの話を記事にしたところ、大きな反響がありました。

それから1年後、どうしているかと記者が再訪すると、フィリピン人の女性たちは介護の資格を取って施設で働いていました。「缶詰工場で働いていたときは日本語もわからず、誰とも話をしないまま黙々と仕事をしていたけど、今は人から感謝されて生きている感じがする」と嬉しそうに語りました。過疎化が進む被災地で、フィリピンの女性たちがこのように地域を支えて生きている、という話はまた感動的な記事になりました。

「大門さんみたいにはなれない」

私の仕事道具:『老子の無言』『論語の一言』(田中佳史著)。6年ほど前から中国古典を勉強している。立場が上になればなるほど、相談できる人がいなくなる。仕事で迷った時に紐解くことが多い。

仕事と育児の両立は難しい、とよく言われます。私自身、いつも一杯一杯だったのですが、ある時子育て中の部下のお母さんから「娘は大門さんみたいにはなれないと言っていました」と聞き、ショックを受けました。この一件を機に、仕事も育児もバリバリこなすイメージで見られ、「私にはできない」と他の女性社員に思われてしまうことを避けなければならない、と思うようになりました。

それからは、責任ある立場にいても可能は限り早く帰宅するよう心がけ、限られた時間の中で、質の高い仕事ができるように努めました。

最近、うれしいことがありました。15年前に出産・育児で退職した同期の女性がパートとして職場に戻ってきてくれたのです。最初は長いブランクを経て、仕事復帰することに不安を感じていた彼女ですが、すぐに立派な戦力になり、今では欠かせない人です。彼女も含め、育児を経験した女性は限られた時間の中で効率的に働く癖が身についています。

私が執行役員になって取材を受けたり、他社の女性たちから話を聞かせてほしいとたくさん問い合わせを受けるのは、まだまだ日本では女性役員が少ない証拠だと思います。これから役員や管理職を目指す女性たちのために、できることは最大限していきたいと思っています。