なぜ女友だちとは、こんなに離れがたく、それでいて付き合いづらい存在なのか? プレジデント社新刊『女友だちの賞味期限』の出版にちなみ、各界で活躍する方々に「女友だち」について語っていただくインタビューシリーズ、第3回目は、社会現象ともなった『負け犬の遠吠え』の著者で、近著『ユーミンの罪』『地震と独身』も話題の人気エッセイスト、酒井順子さんです。誰もがうっすらと気になっている、胸の中にもやっと感じていることを、鋭く言語化して見せてくれるのが彼女の作品の魅力。そんな酒井さんの「女友だち観」を語っていただきました。
――女友だちって難しいなと思ったことはありますか?

結婚した人、子どもを生んだ人との乖離みたいなものを感じたのが最初でした。あんなに仲が良かったのに、立場が変わると離れちゃうんだなと、初めて感じたのが20代の後半ぐらいから30代前半の時期です。友だちの家に久しぶりにみんなで集まるからって行って、結婚もしてない、子どももいないのは私だけで、完全に話についていけなかった。友だちの子どもをあやしたりするのも楽しいんですが、やっぱり、帰ってからどっと疲れる感じでした。

――子どものいない人は必ずしている体験ですよね。

向こうも、「ここに酒井さんを呼んだのは正解じゃなかったな」と思ったでしょう。なので、だんだん疎遠になってしまう。

――その友情を修復できる可能性はあるんでしょうか。

それは自然に任せるしかないと思う。無理して会っても、話題も、使える時間や、金銭感覚などが、いまの時点では全然違ってるわけで、それが合うようになるまでは無理にもどさなくてもいいんじゃないかなと思います。子どもから手が離れれば、自然と友情も復活するものです。

――仲のいい友だちとはどんなお付き合いですか。

私はわりと、1対1で付き合うことが多いです。この話をするときはこの人とか、旅行を一緒にするときはこの人とか、言葉は悪いんですが、用途別、あるいは分野別で付き合っているという感じです。ある友人は、大学時代のクラブが一緒で戦友的な感覚もあり、結婚していないので現在、立場が同じという人。専業主婦でも、話が合うな、という人はいますね。小学校から一緒で、たま~に夫が出張とかいうときに、深夜にお茶したりします。

――どうして1対1のお付き合いがいいんでしょう?

大勢だと、ひとつの話題について、深く話せない。話題があちこちいってしまい、結局何も話さなかったのと同じことになってしまうということがあります。

――親友、とよべる人がいますか?

たったひとりの親友、ってことはないけど、3人ですね。生活環境によって、この人には深夜に電話できるが、この人には無理とか、この人は土日オッケーとか、そういう物理的条件と、個性に合わせて、そのときどき、その3人のうちのひとりと会うような感じ。

――その3人の親友と、それ以外の友人との違いは何ですか?

話がおもしろいということでしょうか。それと、人によって「この話ができないと」というツボが違うと思いますけど、私の場合は、変な話ですが、下ネタが大丈夫なこと(笑)。(エッセイには)けっこうその3人の話を書きますね。私と、彼女たちの関心が合うんでしょうね。『その人独身?』に、「不倫でクーポン使う男」って書いたんですけど、あれはそのうちのひとりのことです。

――酒井さんにとって、友だちの大切さとは?

恋人との関係はわりと、ゼロからでも築きやすいですけど、友情はかなり時間がかかる。恋人を失うより、友情を失うほうがこわいようなところがあります。このしっくりした友情を失って、ゼロからまた誰かと関係を築き上げるなんて、ちょっときついなあと。子どものころって、たまたま、名簿順で隣の席だったとか、家が近所とか、単純な理由が多い。そういうことで仲がいいのを、友情だと思っている時期がありますが、それは誤解。大人になると、お互いに合う、合わないという、フィルターを経てきた関係でないと友情ではない。

友だちになるには、何か経験を一緒にするとか、ある程度、積み重ねていく時間がかかる。だから男女間のように、一目ぼれで親友になるってありえない。友情の大切さは、その辺じゃないですか。昔は、年代も同じ人しか友だちになれないと思っていた。この年になって、使える時間とか、経済的な環境が似ていれば、うんと年が離れていても友だちになれるということがわかってきました。

――若いときの「誤解の友情」から、さまざまなフィルターを通してふるいにかけて、落ち着いてくるのが20代後半から30代前半でしょうか。

そうですね。それ以降、大人の友情になってくると思います。私もそのころから、友人観が変わった気がします。経済的な環境が違うと、一緒に旅行するのも、買い物もつらいですしね。ヒルズ族の人たちが仲良しなのは、やっぱり話が合うからで、「フェラーリいいよね」っていう話ができる人どうしだとラクなんでしょう。そういう経済環境や家族環境の共通性って、友情の大きな要素になりますね。逆に、マイナスのポイントが同じっていうことでも仲良くなりますね。母親と仲が非常に悪いとか、親が死んでるとか。

『女友だちの賞味期限』プレジデント社刊
――楽しい表面的な付き合いしかしていないときにはわからないことがありますよね。

自分も親を亡くしたとか、そういう人が、それまでそんなに親しい付き合いじゃなかったのに、すごくやさしくしてくれるとか、同じマイナスの体験をしていると、わかりあえるところがある。

――『女友だちの賞味期限』に、子どもどもを失うというつらい体験をしたときに、親友が姿を消してしまいった、という話があります。

どう扱っていいかわからなくなったということなんでしょうか。難しいですよね。

――最後に、酒井さんは友だちが多い人ってどう思いますか?

気持ち悪いと思いますね、私は(笑)。特に大人になって友だちが多いっていうのは何か強迫観念があるのかな。人気者になりたい願望、必要とされたい願望をいいかげんに捨てたら、という気が……。私はかなり人見知りなんです。若いころは、人見知りだからこそ、招かれたら行かなきゃいけないかな、と思っていました。でも、32、3歳ぐらいからかな、みんなに好かれてなくてもいいやと思うようになって、もう、いまでは、知っている人としか会わないような感じです。

※このインタビューは『女友だちの賞味期限』初版発行時の2006年に収録した内容の再掲です。

酒井順子(さかい・じゅんこ)
1966年東京都生まれ。立教大学卒業。2004年『負け犬の遠吠え』で講談社エッセイ賞、婦人公論文芸賞を受賞。『そんなに、変わった?』(講談社)、『泡沫日記』(集英社)、『下に見る人』(角川書店)、『紫式部の欲望』(集英社)など著書多数。最新作は、『ユーミンの罪』(講談社現代新書)、『地震と独身』(新潮社)