70代後半:9.4%から61.6%へ増加
自分の歯が何本残っているかという歯抜けのデータは、その人の健康状況を知るバロメーターとしてしばしば利用される。
日本歯科医師会と厚生労働省が、「80歳になっても20本、自分の歯を保とう」という「8020(ハチマルニイマル)運動」という名称のキャンペーンをスタートさせたのは1989年のこと。20本は入れ歯なしでほとんどの物を食べられる目安だという。
このキャンペーンは予想より早いスピードで成果を挙げてきた。厚労省調査の年齢別「20本以上、自分の歯を有する者」の割合の推移をグラフにした(図表1)。
この右肩上がりのグラフは実に圧巻である。
60代後半の場合、1987年26.8%だったものが最新の2024年には82.7%へ、70代後半では9.4%から61.6%へとそれぞれ割合が3.1倍、6.6倍に急上昇している。
80歳で20本以上の歯をという目標をクリアしている者は、2005年に2割を越え、最新の2024年には6割を超えている。日本人の歯の状態はこのキャンペーンに沿う形で高齢者を中心に大きく改善してきている。
改善の理由として、口腔ケアの意識の高まりや、歯を強くする成分を配合した歯磨き粉の増加もあるが、やはり最大の理由は、高齢者を中心に多くの者が歯科診療で口腔ケアを持続的に受けるようになった点を挙げられるだろう。
高齢者における咀嚼能力の向上
高齢者の歯の状態の改善の効果について別のデータも見ておこう。
厚労省の国民健康・栄養調査では、咀嚼能力について定期的に調べている。その結果を時系列に掲げた(図表2)。
最新の2024年における年齢別結果を見ると、「なんでも噛んで食べられる」率は、
40代 96.7%
50代 92.3%
60代 85.1%
70歳以上 72.1%
となっている。「何でも噛んで食べられる」率は、60歳代の場合、2009年の73.4%が、2022年には81.5%と上昇し、すでに上記の目標値を達成している。他の年齢層も咀嚼能力はおおむね上昇傾向をたどっている。年齢を重ねると咀嚼能力は落ちているものの、以前と比較すると咀嚼能力の低下の程度は弱まっている。
以上のような、高齢者の歯の本数維持や咀嚼能力の向上が、日本人の健康状態や体力の向上、健康寿命の延長、ひいては長寿にもつながっているのだろう。
北海道・北東北で特に目立つ永久歯の喪失
しかし、日本人全体の歯の改善とは裏腹に、歯の状態の「地域格差」は確実に存在する。健康格差は、貧富や学歴や生活習慣の違いについても見られるが、歯の状態はそれらを総合的に示していると考えられる。
(資料)厚生労働省「歯科疾患実態調査結果」
図表3に永久歯の喪失状態(40歳以上、19歯以下の者の割合)を示す都道府県マップを掲げたが、これを見ると、傾向として、永久歯喪失比率が高いのは北海道・東北地方、特に北東北、および九州・和歌山・沖縄など西南地域であり、列島中央部や大都市圏で相対的に低く、特に東京や大阪ではかなり低くなっている。
具体的な数字から判断すると、
ワースト5は岩手(39.4%)、青森(33.5%)、長崎(32.2%)、秋田(29.6%)、北海道(29.3%)
ベスト5は香川(12.4%)、大阪(13.8%)、東京(14.8%)、広島(15.2%)、静岡(16.3%)
の順となっている。
ワースト1位である岩手の39.4%とベスト1位である香川の12.4%との間には3倍以上の格差がある。大阪・東京はベスト2、3位で、それぞれ13.8%、14.8%となっている。
※成績の悪い神奈川はサンプル数が少ないため、やや信頼度の低い結果となっている可能性が高い。
日常生活が制限されることなく介護なしで生活できる期間を健康寿命と呼ぶが、地域別の健康寿命の状況を図表4に掲げた。これを見ると、北海道、北東北や西南日本で健康寿命の短い地域が目立っている。前出の歯抜けの地域差とかなりパラレルな傾向を示している点に気づかされる。
(資料)日本老年学的評価研究機構プレスリリース(2021年1月)
歯抜けと飲酒、喫煙、塩分摂取量の関係
歯の健康の地域格差についてはさまざまな要因が指摘されている。
例えば、飲酒量や喫煙率だ。それらの数字が高い地域の代表格は、青森県や北海道、東北・北日本エリアだが、こうした地域は歯科検診を受ける人が少ない地域とも重なっている。こうした行動パターンが歯抜けを放置し、健康寿命を短くする傾向に結びついている可能性が高い。
この点について、図表4の原資料では、統計上、歯科医療費の使用額が高い地域(医療圏)ほど健康寿命が長い傾向を示すことが明らかにされている。東京や大阪など大都市地域では歯科検診を受ける人も多く、全般に健康意識が高いため、歯の健康も比較的維持されており、健康寿命も短くない。
一方、冬の厳しい寒さ・豪雪に見舞われる東北地方では、濃い味付けや塩分の高い食事(漬物、塩辛、スープを飲み干すラーメン文化など)を好む傾向がある。塩分の過剰摂取は高血圧などの生活習慣病を招く。生活習慣病のうち糖尿病などの全身疾患は、歯を失う最大の原因である「歯周病」を重症化させる大きなリスク要因(相互に悪影響を及ぼす)として知られている。
東北と並んで歯抜けの人が多い西南日本に関しては、上記に挙げたような要因だけでは説明がつかない側面もあると思われる。
孤食と歯抜けの微妙な関係
歯の健康との関連では、「孤食」との関連も指摘されている。
歯の状態を含む「口腔の健康」は、コミュニケーションや社会関係の重要な役割である発話や笑顔、食事と強く関係しており、とりわけ高齢者の孤食が、死亡や抑うつのリスクを増加させることが明らかになっている。

約15万6000人の高齢者を対象とした調査の結果では、歯や義歯の利用状態が悪いほど、すなわち歯の数が少なかったり、義歯をつけていなかったりするほど、孤食が多いことがわかっている(図表5)。年齢や置かれた環境などいろいろな条件が同じだと仮定するとリスクは1.81倍高くなるとも計算されている(図表5の原資料による)。
また、この傾向は、誰かと同居している高齢者と比べ、一人暮らしの高齢者でより強いことも明らかになっている。
このデータは、歯抜けを放置すると孤食に陥りがちとなることを示すものだが、孤食になると歯抜けが増えるという傾向、あるいは孤食と歯抜けは孤独・交流不足がもたらす平行現象であることを示している可能性もある。
他者との交流が少なくなると「誰かに見られている」という意識が薄れ、生活にメリハリがなくなりがちだ。このため、食事内容が偏ったり、運動不足になったり、喫煙や過度の飲酒といった不健康な習慣に陥りやすくなる。定期的な通院や服薬管理がおろそかになるケースも少なくない。社会的孤立やひとり暮らしが死亡リスクを高めるという研究結果もある。ここで紹介した歯の健康と孤食との相関もそうしたマイナスの連鎖の大きな一要素となっていると考えられる。
東京や大阪など大都市では、今後、孤独な高齢者が増加し、孤食の比率も上昇していく可能性が高い。都内のひとり暮らし高齢者の割合は1980年度(11.1%)から2020年度(22.2%)、さらに2025年度(速報)では29.1%へと急増している。
現状では大都市地域における歯の健康はかなりよい状況にあるが、よほど、大都市におけるコミュニティ機能の強化や交流の拡大を進めていかないと、今後、大都市は歯抜けの老人だらけとなるおそれがないとは言えなかろう。