「帰省」という慣習は、なぜ生まれたのか。日本人の墓をめぐる動向などに詳しい宗教学者の島田裕巳さんは「盆や正月に故郷に帰省するという習慣は1960年代以降に成立した比較的新しいもので、今やその実質的な意味は失われている」という――。
東京駅
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サラリーマン社会が生んだ「帰省」

「帰省は、要らない」

私はそう考えている。というのも、盆や正月に故郷に帰省するという習慣は1960年代以降に成立した比較的新しいもので、今やその意味を失ってしまったからである。

盆を前にしたこの時期、故郷に帰省すべきかどうかを悩んでいる人もいるだろう。とくに結婚した女性であれば、夫の故郷への帰省は鬱陶うっとうしい。なんとかそれをやめられないものか。そう考える人も少なくないはずだ。

なぜ、帰省という習慣が生まれたのだろうか。

【Close-up:もう、帰省はいらない!】はこちら
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それは戦後のサラリーマン社会が生んだものであり、たしかに一時は流行した。「帰省ブーム」が起こったとも言えるのだ。

しかし、ブームは一時は盛り上がるものの、少し時間が経てばすたれていく。廃れていくと、なぜそんなことをしなければならないのかが分からなくなってしまう。

どうして帰省はブームになったのだろうか。

帰省が“盛り上がった”転換期

NHKの朝ドラでは、時代が明治だろうが、主人公が帰省する場面がよく出てくる。現代が舞台であれば、頻繁ひんぱんに故郷に帰る。よく時間や旅費があるものだと、呆れてしまうほどである。

しかし、時代が明治であれば、交通機関は発達していないわけで、そう簡単に長距離移動ができるわけではない。盆と正月、年に二度も帰省できるようになるのは、交通機関が発達する1960年以降である。

転換期になったのは、最初の東京オリンピックが開かれた1964年である。

この年、初めての新幹線として東海道新幹線が開通した。開業当初、東京―新大阪間には「ひかり号」しかなく4時間かかった。3時間10分に短縮されるのは、約1年後のことである。

今は「のぞみ号」で2時間21分で行けるので、4時間は長い。だが、新幹線が開業するまでは在来線で6時間半かかった。戦前だと8時間20分もかかった。

東海道新幹線は世界に先駆けた高速鉄道になるが、前年の1963年には、名神高速道路の栗東ICと尼崎ICの間、71.7キロメートルが開業した。これで初めて、時速100キロメートルで、車が走ることが可能になった。

新幹線も高速道路もやがて全国に広がっていくが、1960年代はまだ一部だった。飛行機になると、それが帰省にまで利用されるようになるのは、ジャンボ機が導入された70年代以降で、本格的には80年代のバブル期以降である。そこからだ、帰省が国を挙げての大々的なブームになっていくのは。

死者も生者も同時期に「帰省」

そもそも、人が帰省するためには、それぞれの人間が自分の「故郷」を持っていなければならない。故郷を持つためには、実家から都会に出てきた経験がなければならない。

もちろん、昔からそういう経験をした人たちはいる。しかし、昔は、一度実家を出てしまえば、よほどのことがないかぎり戻ることはなかった。

ところが、1950年代半ばから日本が高度経済成長の時代に突入すると、多くの労働力が地方の農村部から都市部へと出ていく。最初は、小学校や中学校しか出ていない「金の卵」が中心だったが、大学へ進学するために都市部へ出てくる人間も増え、彼らは大企業や官庁に就職した。それによって、「サラリーマン社会」が到来した。

集団就職列車で地方から上京した中卒者たち。高度経済成長期を迎えた都会では働き手が不足しており、彼らは「金の卵」と呼ばれて重宝された=1964(昭和39)年3月18日、東京・上野駅 「ザ・クロニクル 戦後日本の70年」第3巻使用画像
写真提供=共同通信社
集団就職列車で地方から上京した中卒者たち。高度経済成長期を迎えた都会では働き手が不足しており、彼らは「金の卵」と呼ばれて重宝された=1964(昭和39)年3月18日、東京・上野駅 「ザ・クロニクル 戦後日本の70年」第3巻使用画像

大企業になると、盆や正月の時期にいっせいに休業するので、社員は長期休暇をとれるようになった。その休暇を利用して、故郷に帰省した。盆が本来、先祖を供養する機会であることもそこに関係した。

死者も、その家を離れた生きた人間も、同時期に実家に戻ってくる。そんな習慣が、高度経済成長期以降生まれたのである。

「ブームの産物」、墓参りも然り

帰省がブームになったのは、その時期に急増したサラリーマンにとって、それが「故郷に錦を飾る」絶好の機会になったからである。

当時、サラリーマンはまだ一部にとどまり、大手企業に就職できた人間であれば「エリート」に他ならない。故郷に戻ればそれを自慢できる。実家の親たちも、子どもの出世に鼻高々だった。

そうした思いができるからこそ、帰省は意味を持ったわけで、それについていく嫁となった女性も、「良い旦那を持てた」と満足でき、夫の実家でも居心地が良かった。

帰省した場合、先祖の墓参りをすることも習慣になっていった。ただし、墓もまたブームの産物であり、墓参りも帰省と同じ、あるいはそれ以上に新しい習慣である。

今は99.98%が火葬で、日本は世界一の火葬大国である。しかし、戦後すぐの段階では、まだ半分は土葬だった。とくに、地方ではむしろ土葬のほうが多かった。

土葬の場合、埋葬した場所は参るための墓にはならない。棺桶も遺体も腐ってしまい、土が陥没するので、そこに石塔を建てることができなかったからである。土葬時代、供養のための場は仏壇で、墓参りなどしなかったのだ。

流行りは「寿陵墓」から「墓じまい」へ

どの家でも墓を建てるようになるのは時期としてはかなり遅い。それについてデータは乏しいのだが、札幌市の場合、1980年以降徐々に増えていき、91年にピークを迎えた。それはちょうど、バブルの時代に当たる。

墓を建てるブームは、バブル時代に訪れた。その時代には、その家に死者がいないのに墓を建てる「寿陵墓じゅりょうぼ」が急増した。地価が高騰したので、マイホームを買えなくなり、それならせめて「終の住み処」を確保しようとしたのである。

地方に墓ブームが訪れるのは、バブル期以降である。その時期になると、火葬も広がり、墓が必要になった。地方の農村部では、同じ規格の真新しい墓石が建ち並ぶ墓地を見かけることが多いが、それも地域の人々がいっせいに墓を建てたからである。

その後、墓のほうは、多くの人が持て余すようになった。墓を維持するには、「墓守はかもり」が必要であり、家の在り方が変わることで、後継者のいない家が増えたからだ。

その家の人間が都会に出てしまえば、実家の墓は邪魔になる。親が亡くなれば、もう故郷に墓守はいない。

かくして「墓じまい」のブームが今や、訪れている。

たまごっちなら、ブームが去っても邪魔にはならないし、しばらくぶりに触れてみると懐かしかったりする。しかし、墓となれば、季節ごとに参る必要があるし、管理費(お掃除料)も支払わなければならない。

墓地
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輝きが失われた無意味な帰省

都会に出てきた人にとって故郷があるのは、親が生きている間のことである。親が亡くなれば、帰って泊まる実家も消滅する。そうなれば、帰省することはほとんどなくなる。ホテルを予約してまで、故郷の同窓会に出る人は少ないはずだ。

実家がなくなり、故郷が失われれば、そこにある墓は面倒で“やっかいもの”になる。それなら処分するしかない。多くの人たちが墓じまいを実行しており、それを考えている人たちは実に多い。

帰省が本人や親たちのプライドを満たすことも、今ではなくなってきた。サラリーマンが大量に増え、社会のエリートではなくなってきたからだ。

年をとってくると、故郷の同窓会では、顔ぶれも変わらず、「病気自慢」するしかなくなる。かくして、帰省からは「輝き」が失われた。帰省に意味を見いだせなくなるのも、当然のことである。

戦後の高度経済成長以降は「故郷の時代」だった。歌謡曲は故郷を歌うことで人気を博した。映画でも、故郷から仕方なく出てくる、あるいはやむを得ず故郷に戻ることをテーマにした作品が多かった。そうした歌謡曲や映画の作り手も、故郷から出てきた人間たちで、「望郷の念」に駆られていたのだ。

今や、故郷を捨てることに戸惑いを覚える人間はいなくなった。人生がうまくいかなくなって戻ってきた人間を、温かく迎えてくれる故郷自体がなくなった。

社会は根本から大きく変わったのである。

失われた日本の宗教の核心

日本人の宗教心の根底には「先祖崇拝」の観念があると指摘されてきた。

亡くなった先祖の位牌いはいは仏壇に飾られ、子孫はその前で手を合わせた。遺骨は墓に葬られ、子孫は定期的に墓参りに訪れ、やはりその前で手を合わせた。

日本の民俗学の開拓者である柳田國男やなぎたくにおは、親譲りの仏教嫌いであったせいで、死者は仏になるのではなく、山へのぼって山の神となり、春になると里におりて、その家の田を守る田の神になるのだという説を唱えた。

民俗学者・柳田國男(1875~1962)
民俗学者・柳田國男(1875~1962)(写真=あばさー/毎日新聞社「毎日グラフ(1951年10月10日号)」より。/PD-Japan-oldphoto/Wikimedia Commons

その説は広く受け入れられ、仏と神はほぼ同一のものとして捉えられるようになったが、今や農家は減り、多くの人々は先祖のおかげを感じることのないサラリーマン家庭になっている。

日本の宗教団体の信者数は、既成宗教でも、創価学会のような新宗教でも、バブルの時代がピークで、その後大幅な減少に転じた。それも、先祖崇拝を核にした日本の宗教が意味を失ってきたからに他ならない。

男性を重んじる先祖崇拝の消滅

今回の皇室典範改正問題で、政治家や保守派が男系での継承にこだわり、女性天皇や女系天皇排除に動いたことの評判がひどく悪かったのも、そうした社会の変化が関係している。

先祖崇拝において、崇拝の対象になるのは、農家では水田を開き、それを維持してきた男性の先祖である。女性の先祖が崇拝の対象になることはない。つまり、日本人の信仰の核にあるとされた先祖崇拝は、ことさら男性を重んじる信仰であったのだ。

サラリーマン社会では、男性の先祖が重視されることはない。とくに男女平等の観念が広まることで、女性の重要性は飛躍的に高まった。そうした社会に生きる人間には、男系を絶対視することなどまったく理解できない。

政治家は、故郷が選挙区になっていることが多いので、頻繁に帰省する。そこで一般の国民との間にズレが生じている。強引な皇室典範改正も、そのズレが深く関わっているのではないだろうか。「帰省嫌い」が増えた昨今、どうしてもそんな思いがよぎるのである。