耳鼻科医・石井正則さんは、ある日突然、両腕が動かなくなった。「数日で治る」と言われたが3カ月経っても回復せず、腕は骨と皮だけに。先輩医師からは廃業を勧められた。児童書『宇宙飛行士を支える医師 "宇宙酔い"への挑戦』(金の星社)を上梓したジャーナリストの笹井恵里子さんは「絶望の中で石井さんを救ったのは、本人が最も抵抗を感じていた意外な方法だった」と打ち明けるーー。

両うでが突然動かなくなった

2005年のある日のこと。耳鼻咽喉科の医師としていそがしく働いていた石井正則まさのり先生の両うでが突然、動かなくなってしまいました。両うでがお化けのようにダラリとして、上にあがらないのです。あわてて整形科を受診すると、お医者さんにこう言われました。

橈骨とうこつ神経麻痺です。大丈夫。数日で元にもどるでしょう」

それを聞いて石井先生はほっと胸をなでおろしました。お医者さんだって、お医者さんに「大丈夫」と言われれば、ほっとするのです。ギプスで固定すると指先が使えるので、仕事を続けることにしました。

そして毎日病院で通電療法というリハビリを受けました。体外から筋肉に電気を流し、刺激をあたえる治療です。

ところが3日、4日、1週間経っても、1カ月経っても石井先生の両うでは動きません。うでが動かないので、ちゃんと食べることさえできないのです。石井先生はわずかに動く指先にサンドイッチをはさみ、何とか口もとにもっていきました。トイレでもおしりをふけませんから、ウォシュレットを使っていました。

(くそっ、なぜうでが動かないんだ。なぜだ)

ついに3カ月が経ってしまった時、石井先生はギプスを外したうでを見てがく然としました。うではやせ細り、骨と皮だけに……。自分のうでではないようでした。

ヒト骨格系上肢骨関節解剖学
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「医者はやめたほうがいい」と告げられる

石井先生は先輩医師のところに相談に行き、自分のうでを見せました。

「こんなにひどい麻痺があるのか」

その先輩医師はおどろいたように言い、「これはもう無理だ。神経が死んでいるんじゃないか」とつぶやきました。そして「もう医者はやめたほうがいい」と石井先生に告げたのです。

「もっといろいろとケアをしてくれて、リハビリも充実した病院に入院したらどうだ。それでも良くならなかったら、図書館の司書業務をしょうかいしてあげるよ」

先輩医師は、石井先生をはげましたかったのでしょう。けれども石井先生はその言葉に大きなショックを受けました。

(もう医師の仕事は無理ということか……。これまでけんめいにがんばってきたのに……)

医師になる自分を支えてくれた人が次々に頭にうかびます。医学部を卒業する時にがんのため亡くなったお母さんの富子さん、それから約10年後に世を去ったお父さんの正行さんは、いつも自分を応援してくれました。結婚した妻、アメリカに留学中に教えを受けた五十嵐教授、仲間として出会った宇佐美先生、帰国してからともに日本人宇宙飛行士の選抜試験に関わる関口先生……。

(患者さんを治すことはもちろん、もう研究だってできない)

石井先生はひとり、なみだを流します。どうすればいいのかわからず、暗闇の中を歩いているようでした。

NASDA(現JAXA)で宇宙酔いの研究を

少し話をさかのぼりましょう。

石井先生はアメリカからの帰国後、しばらくして東京慈恵会医科大学から東京厚生年金病院、現在のJCHOジェイコー東京新宿メディカルセンターの耳鼻咽喉科へ異動になりました。

その時、当時の東京慈恵会医科大学の阿部正和学長に呼び出されたのです。そして阿部学長から色紙をわたされました。

そこには【医はサイエンスによって支えられたアートである】と書かれていました。

阿部学長はこう言いました。

「一般病院に行っても、研究の姿勢を忘れるな」

はっ、と気付きました。「研究」が病気と患者さんをつなぐ架け橋になる。石井先生はそれを肝に銘じてがんばろうと思ったのです。

病院で診察をしながら、NASDAナスダ(現・宇宙航空研究開発機構JAXAジャクサ)で宇宙酔いを中心とした研究を続けました。

大先生に呼び出された日

東京慈恵会医科大学から東京厚生年金病院に異動する時に、耳鼻咽喉科の学会で研究した成果を次々に発表していましたが、ある時、耳鼻咽喉科の大先生に呼び出されました。

石井先生がそこに向かうと、大先生が険しい顔つきで立っていてこう言いました。

「もうこういう宇宙にからんだ発表ばかりを耳鼻咽喉科学会でするんじゃない!」

石井先生は大先生の剣幕におどろきながらも、ひるまずに「どうしてですか」とたずねました。大先生は「宇宙酔い、乗り物酔いなんて、航空や宇宙とか交通の学会で発表しろ。耳鼻咽喉科と関係がないじゃないか!」とどなります。

(大いに関係がある!)

そうさけびたかったのですが、石井先生は口にしませんでした。NASDAからたくさんの研究費をもらい、それを“やっかむ”医師たちがいることを知っていたからです。

「それではどんな研究をすればいいのですか」

石井先生がなおも聞くと、大先生はムッとした顔で言いました。

「決まっているだろ、メニエール病だ」

メニエール病の研究始動へ

メニエール病は、1799年生まれのフランス人医師Ménièreメニエールが発表した、ぐるぐるまわるような「めまい」が起こる病気です。

年齢に関係なく突然発症し、耳が聞こえづらくなって一度めまいが起きると数十分から数時間おさまりません。そしてこのめまい発作を何度もくり返し、やがて聴力が低下する難聴が進行し、ひどいと両耳の聴力を失ってしまうのです。

メニエールは、めまいが「耳の病気」で起こることを明らかにしましたが、なぜこのような病気が起きるのか、医学が発達した現代でも謎だらけでした。ですから大先生は研究するなら宇宙酔いではなく、「メニエール病に」と言ったのです。

石井先生は考えました。

(メニエール病の発症にはストレスが関わり、自律神経のバランスが乱れることが関係しているといわれる。宇宙酔いも、自律神経の異常反応だから似ている仕組みだ。これまで取り組んできた自律神経の研究を進めていけば、メニエール病の本質にたどりつけるかもしれない)

ここから、石井先生のメニエール病の研究が始まりました。

フランスの医師プロスペル・メニエール(1799~1862)
フランスの医師プロスペル・メニエール(1799~1862)(写真=パリ・シテ大学 サンテ大学図書館/Licence Ouverte/PermissionTicket/Wikimedia Commons

90分間のトレーニング

しかしそんな矢先、石井先生の両うでに異変が起きてしまったのです。

いつまで経っても両うでが動かない石井先生は、あの先輩からしょうかいされた病院に緊急入院することになりました。

それでもなかなか治りません。そんな時、リハビリ担当の先生から「ヨガ」をすすめられました。みなさんはヨガを目にしたことがあるでしょうか。

約5000年前にインドで生まれたといわれ、身体的なポーズをとりながら深い呼吸を行い、心身のリラックスをめざすものです。運動とも、瞑想ともいえるでしょう。

(ヨガなんて冗談じゃない。あんなポーズをとって、何が変わるもんか)

石井先生は最初は首を横に振りました。

けれども他にできる治療もありません。リハビリの先生が何度もすすめるので、石井先生はしぶしぶヨガのトレーニングを受けることにしました。うでにギプスをしたまま90分間、インストラクターさんの動きを真似しながらポーズをとります。

(こんなことをして何になるんだろう……)

そう思いながら、90分間のトレーニングを何回か受けました。

両うでが動かなくなってから8カ月が経過していた

するとある日、病室にもどって汗まみれのギプスを外したら、左側だけ瞬間的にぴくんと動いたのです。

(神経が死んでいると言われたのに! 動いた!)

石井先生のほおに温かいなみだがすべり落ちました。やがて病室の床にふし、石井先生は大声をあげて泣きました。看護師さんたちもやってきて、手をたたいて喜びます。

「動いたのですね! 私たちじつは『もう石井先生は治らないかもしれない』と話していたんです。うれしい。本当に良かったです」

看護師さんの目にもなみだがうかんでいます。

その後、石井先生はヨガによるリハビリに積極的に取り組むようになりました。すると左手だけでなく右手もどんどんうでが動くようになり、落ちこんでいた気分も前向きになっていきました。そしてついに病院に復帰し、医師の仕事を再開したのです。耳鼻科医として最も難しい内耳の手術も行いましたが、うではこれまでのように動き、手術は大成功でした。

(もう大丈夫だ)

両うでが動かなくなってから8カ月が経過していました。医師の仕事を休んでいる間、大変でしたし失ったものもたくさんありますが、得たものも大きいと石井先生は思いました。ヨガに出会って体をきたえ、自律神経を整えることを学んだからです。

医学的効果があるにちがいない

「マサさん、宿題は持ってきましたか」

全国のさまざまな地域でヨガ教室を開催するスタジオ・ヨギー。そこで講師を務めているキミ先生が石井先生に話しかけました。キミ先生は「マサさん」と自分が呼ぶ目の前の男性が「医師」であることは知りません。

石井先生はうなずくと、キミ先生にノートを差し出しました。

(あれだけ動かなかった両うでがヨガの講座を何日か受けたら回復した。ヨガにはきっと医学的効果があるにちがいない)

瞑想
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そう考えた石井先生はスタジオ・ヨギーの基礎コースをいくつか受講したのち、「インストラクターコース」に申しこんだのです。ここでは1年近くをかけて200時間程度の授業を受けることになります。

キミ先生は、石井先生が宿題で提出したノートをめくりながら、ある部分に目がとまりました。日記のように日々のできごとを記す宿題で、石井先生のノートにはかわいらしい雑草の写真がはってあり、そばに〈こういった草を見ると心がなごみます〉と記されていたのです。

(丁寧にまじめに宿題にとりくむ人だな。でも雑草の美しさが心にひびくのは繊細な感性の持ち主かもしれないな)

キミ先生はそう思いました。そもそも2006年のこのころ、ヨガ教室に中年の男性が通うことはとてもめずらしかったのです。石井先生は教室の中でだまっていても目立つ存在でした。

200時間のインストラクターコースで学ぶ

さてスタジオ・ヨギーでは「ヨガ哲学」というヨガの聖典をもとにした古くからの知恵や、ヨガ流の解剖学を学びます。キミ先生はいつものように教室中の生徒に目を配りながら、ひとつひとつ説明しました。

「右鼻と左鼻にはちがった役割があり、それぞれ呼吸法の仕方があって、そのバランスは人によってちがいます」
「心を整えるために、まず体を動かしましょう」

どの生徒も熱心にメモをとり、キミ先生にならって体を動かします。ところがマサさんこと石井先生は、ほかの生徒よりやる気が感じられません。それもそのはず、キミ先生の講義を受けながら、石井先生は心の中で(左右の鼻に別々な役割? ありえない!)とつぶやいていたのです。

(マサさんは、丁寧に宿題をしてくるけれど、何だか信頼されていないみたいだなぁ)

キミ先生は悲しい気持ちになりながらも、講義をつづけました。

すると、いつごろからでしょう。200時間のインストラクターコースを終えるころ、石井先生の顔つきがだんだん明るくなっていったのです。

「いいか悪いかではありません。すべての色がこの世界にはあるのです」
「万物は善が前提です」

キミ先生がヨガ哲学を話せば、石井先生はうんうんとうなずいているではありませんか。次第に周りの他の生徒さんとも会話をし、ヨガ教室にとけこんでいきました。

医師としての知識を広める

「ええっ、マサさんってお医者さんだったの?」

インストラクターコースが終了するころ、石井先生が自分の職業を告げると、キミ先生はおどろきました。

「そうなんです」と石井先生はうなずき、力強く話しました。

笹井恵里子『宇宙飛行士を支える医師 “宇宙酔い”への挑戦』(金の星社)
笹井恵里子『宇宙飛行士を支える医師 “宇宙酔い”への挑戦』(金の星社)

「ぼくはヨガのおかげで元気になれました。だからこれからは医師としての知識をヨガの世界に広めたいし、ヨガの医学的根拠を確かめていきたいんです。ぼくもヨガは単なる運動のひとつだと思っていました。でもヨガ哲学や瞑想、呼吸、すべてが合わさってヨガなんですよね。ヨガの素晴らしさを広めたい。どうすればいいでしょうか、キミ先生」

キミ先生は情熱にあっとうされながらも、ヨガ業界、そして世の中の人の役に立ちたいという石井先生の思いに感激しました。

「そうね、じゃあ一緒にイベントをしましょう。例えばマサさんは自律神経やねむれない人に向けての睡眠障害の話、うつ病の医学的な説明をする。私がそういったなやみに働きかけるヨガの指導をするというのはどうかしら?」
「いいですね! やりましょう!」

こうして年に数回、石井先生とキミ先生はそろってイベントを行うようになりました。それは毎回大盛況でした。