「永谷園のお茶づけをちゃんとつくってくれよ」
「コレ、違うだろ……」
発売日を数カ月後に控えた、ある日の社内プレゼン。永谷園マーケティング本部の栗原紘明さん(40歳)が、営業担当に新商品の説明をしたところ、すかさずダメ出しを受けたという。「カップ入り お茶づけ海苔」「カップ入り さけ茶づけ」、2つの新しい商品だ。
「発売日を、2024年9月9日に決めたんです。商品自体は試作中でしたが、同時進行で営業担当者にイメージを説明しました。手持ちの簡易なカップにフリーズドライのお米とお茶づけ海苔を入れて、『こんなイメージです』と。すると『これが永谷園のお茶づけか?』と即座にいわれました。プライドを持ってくれよ、歌舞伎の定式幕のデザインを誇る、永谷園のお茶づけをちゃんとつくってくれよ、ということです」
ハッとしたという栗原さん。同本部の石川拓也さん(43歳)は、東京の本社と工場を行き来しながら、フリーズドライ(FD)のごはんをお茶づけ用に究めようとしている。同じく小田友紀子さん(36歳)も日々試食を重ねている。みなが発売日に向けて、走り続けていた。
もちろん栗原さんも、毎日試食を続けていた。
「家で朝食は食べず、出社してカップお茶づけの試作品を食べ続けました。空腹時の舌が、最も敏感ですから。日中の試食も、できるだけ食事から時間を空けて味を試しました」
それでも足りなかったものとは何だったのか。「永谷園のお茶づけ」と呼ぶにはふさわしくない、そう営業部に見抜かれた点はどこだったのか。
素材を吟味し尽くして生まれる味わい
食べたことがないという日本人は、もしかしたらいないのではないか。そう言われるほどに浸透し、国民食とまで呼ばれるのがお茶づけ。その中で圧倒的なブランドを築いてきたのが、永谷園の「お茶づけ海苔」だ。
発売から73年。味がほぼ変わっていないというから驚く。お茶に合う昆布ベースの出汁に、加えられているのは、抹茶、塩、砂糖などじつにシンプルだ。だが、この味は「真似ができない」と言われている。理由はひとつ。素材の吟味である。
海苔は自社で入札。昆布はうまみ、とろみまで厳しくチェック。栗原さんが教えてくれた。
「素材がシンプルだからこそ、具材には徹底的にこだわります。海苔の買い付けは全国を回り、一番合うものを探す。11月末から始まり4月頃まで、産地に合わせて担当者も北上していくんです。だからその時期、担当者は会社にいません」
社内では、「海苔マイスター」と呼ばれているという。彼とその“弟子社員”が全国を巡り、海苔の道を究めている。抹茶、あられ、鮭にもプロフェッショナルな社員がいる。選び抜かれた素材が黄金比で混ざり合い、あのクセになる味わいになるのだ。
新人研修で受け継がれるDNA
そもそもなぜ、永谷園はこの道を歩きはじめたのか。
はじまりは永谷宗七郎(のちに出家して宗円)にさかのぼる。江戸時代に煎茶の製法を開発した永谷園の祖であり、「高級品のお茶を庶民のものにしたい」――その志だった。彼の命日である5月17日は、「お茶漬けの日」として日本記念日協会に登録されている。その後、10代目となる永谷嘉男氏が現在の永谷園を創業し、「お茶づけ海苔」を戦後の世の中に売り出した。1952年のことである。小田さんはこう語る。
「小料理屋の締めで食べるお茶づけを、誰もが手軽に食べられるようにしたい。それが始まりだったんです」
おいしいものを、多くの人に。おいしさで人を豊かに。それが永谷園のDNAだという。だから新入社員には、必ず看板商品と向き合う場が準備されている。
「研修で“調味顆粒”を自分で作るんです。材料を計量して調味顆粒を作り、生産した調味顆粒と比べる。するとわかるんです、力加減や加える水の量、それらによって品質が変わり、いかに絶妙なバランスでシンプルなものから繊細な味わいが生まれているかが」(小田さん)
その「お茶づけ海苔」の累計食数は、延べ約170億食にのぼるという。時代は移れど、日本人とともに歩んできた商品なのだ。
そんな社の看板を“カップ”にする。しかもお湯を注いで3分で永谷園の味にキメる――。カップ型お茶づけ用のフリーズドライごはんを追求し続ける石川さん。永谷園の味に仕上げる栗原さんと小田さん。いよいよ皆が、開発期間の1年半が最終段階に入ったことを覚悟した。
創業者による「永谷園開発マン心得五ヶ条」
しかし栗原さんは、「もういちど原点に返ることが必要だった」という。原点とは何か。
「食べる人です。先人たちは、食べる人を常に思い描いていましたから」
あらためて創業者・嘉男氏の苦労も調べた。パッケージ技術が未熟だった時代の苦労。模倣品の出現で取引先を失ったエピソード。嘉男氏の百戦錬磨は、「永谷園開発マン心得五ヶ条」と題した次の言葉にも残されていた。
一 私は常に新製品開発を考えている。
二 私は他社と同じ物を作らない。必ずひと工夫ないか? を考える。
三 私はその開発案件に惚れる。而し決して惚れ過ぎない冷静さを持つ。
四 私はスーパー、デパ地価を消費者の目線で勉強する。
五 私は永谷園の「味ひとすじ」精神を最も大切だと考えている。
「そうなんです、永谷園社員は『お茶づけ愛』がとにかく強いんです」(栗原さん)
お茶づけの価値とはいったい何か
こうして開発チームは商品化の仕上げに向かい、何度も議論を繰り返してきた“原点”に立ち戻った。
「お茶づけの価値とは何か。どうして、これほどまでに支持されてきたのか。それを掘り下げていく。もっと深く、もっと深くと」
「言葉が必要でした」と栗原さんはいう。こうして生まれた答え、それが「ホッとする」「ホッと安心できる」だった。
和の素材の優しい味わい。誰もが持っている、お茶づけを囲んだ数々の思い出。それらが混ざり合い、心からホッとする瞬間を生む。それこそが、お茶漬けの価値であると。現代人が求めるホッとできる安心感。開発チームはそこに狙いを定めた。小田さんが語る。
「満腹になりたいというより、ホッと一息、ちょっとココロとおなかを満たしたい。食べた後も仕事や勉強を続けられる量。その絶妙な加減を模索しました」
味のバランスも同じだ。
「1食食べ終わったときにホッとできるちょうど良い塩分、具材量、味わいを探りました。お湯を注いで3分後となると、具材から味と香りが出てきます。しかもごはんはフリーズドライですから、ひと口目から最後までおいしいと感じることがとても大事になる。海苔やあられの量の調整もかなり重要でした」
後味も大切だ。「食べ終えたときに、ホッと一息、いつもの自分に戻れた感覚になれるか。それを毎日確かめました」(小田さん)
すべてに「ホッと」感を意識した
パッケージも試行錯誤を重ねた。パステルカラーのデザイン案もあったが即、却下。カップのサイズもオリジナルだ。数ミリ単位で違う30パターン以上のデザイン案を検討した結果、ずんぐりとしたカップに、歌舞伎の定式幕を巻いた。さらに、すべてに「ホッと」感を意識したという。
「情報量も、最小限にしました。従来のデザインに加えたのは『お湯を注ぐだけ』という表記のみ。大事なのは“永谷園のお茶づけ”であること。それだけです」(栗原さん)
お馴染みだけど、新しい顔。若い人にも、年を重ねた人にも、そしてご飯を炊かなくなった人にも届くように――。
こうして発売日がやってきた。「カップ入り お茶づけ海苔」「カップ入り さけ茶づけ」。2024年9月に店頭に並ぶや、1カ月で220万食(計画比369%)を出荷し、同年12月には約500万食を記録。25年9月時点、合計の出荷数量は1200万食に達した。それでも開発チームは止まらない。
「フリーズドライごはんをますます進化させたいです。昨日も工場に行って、新しい工法を検証しました。お米の食感を良くするために、さらに研究を続けていきます」(石川さん)
ホッとさせる達人たちに笑顔で見送られた。彼らのメッセージは、カップのふたの裏にも書かれてあった。「カップ入り お茶づけ海苔」「カップ入り さけ茶づけ」、それぞれ違う言葉である。さて、今晩はどちらから開けてみるか。