オールインの茶づけカップ誕生
新商品であるのに懐かしい。まるで昔からあったような親しみ深さ。そんな新たなカップ型食品が、スーパーやコンビニで快進撃を見せている。
2024年9月9日に発売して1年あまり、すでに出荷数量1200万食を突破したという永谷園の「カップ入り お茶づけ海苔」と「カップ入り さけ茶づけ」である。
もはやごはんを炊く必要もなく、具入り袋を破る手間もなし。ただお湯さえあれば、いつでもどこでも3分後には食べられる、オールインの茶づけカップだ。SNSのXで紹介されると、あっという間に8.5万もの「いいね」がついて話題になった。どのようにして快挙を達成できたのか。価格にして240円の小さな千両役者は、いったい何でできているのか。東京・西新橋にある永谷園本社を訪ねた。
「そうですね、“ちょっとしたこと”を極め尽くした240円だといえるかもしれません」
迎えてくれた開発担当者であるマーケティング本部の栗原紘明さん(40歳)は、「トライ&エラーの連続です。ハラハラしながら昨年の発売日を迎えました」と振り返る。しかも「そもそも、フリーズドライ(FD)の研究を始めたのは1970年発売の『さけ茶づけ』にさかのぼり、1985年にわが社は即席米についての特許を出願し登録されています。そこからの道のりが、この商品なんです」と。なんと構想40年である。
茶づけを愛すればこそのひらめき
日本人にとって、茶づけは“胃袋の休符”のような存在だ。茶碗の白米に熱い茶を注ぎ、さらさらと流し込む。素朴ながらも、安心感に満ちた料理である。
その茶づけに革新を持ち込んだのが、永谷園の創業者・永谷嘉男氏だ。煎茶の創始者・永谷宗七郎から数えて10代目にあたる由緒あるお茶屋の家系に生まれた嘉男氏は、「小料理屋の締めで食べるお茶づけが家でも簡単に食べられたらいいのに」という思いから、1952年に「お茶づけ海苔」を世に送り出す。外食が当たり前でない時代に、小料理屋でしか味わえなかった本格的な茶づけを家庭で手軽に再現できるようにする――70年以上売れ続ける国民的ロングセラー商品を形づくったのは、そんな発想の転換だった。茶づけを愛すればこそのひらめきだ。
時は流れて1996年。永谷園の茶づけDNAはコンビニ限定の「カップ茶づけ」という商品に。これは、「パックごはん」に用いられる無菌米飯とお茶づけ海苔をセットにしたものだった。ただしカップを開いてから、中に入った無菌米飯を取り出し電子レンジで温め、さらにお湯を注がねばならなかった。ひと手間かかったのだ。マーケティングの栗原さんはいう。
「味の評価は良かったんです。でも、世の中には簡便なものが増えてますから、たとえほんのひと手間でも、食べる人との距離が生まれたのかもしれません」
20年前の発売当初こそ売上を伸ばしたものの、近年はその勢いを失っていた。それが消費者の答えだった。もっと手早く、しかも簡単に食べられるものが求められていたのだ。
炊飯器が家にない世帯もめずらしくない
「じゃあ、何をつくる? 何を売る?」社内でアイデアが飛び交った。より手軽に、より簡便に。そもそも和洋中、どの道を選ぶか。「いや、やはり僕らはお茶づけで勝負しよう」――。
「家庭で、ごはんを炊く機会が減少していたから」だと同部の小田友紀子さん(36歳)はいう。「今では、炊飯器が家にない、という世帯もめずらしくありません。それでもお米は食べたい。だから、よりラクにごはんを食べたい、というニーズが高まっていたんです」
そこで今の時代にふさわしい、「“手軽に食べられるお茶づけ”を出すべきではないか」と決まり、味づくりからコンセプト設計まで、マーケティング・生産・営業の全部署で挑む一大プロジェクトになっていく。
しかし、難題も控えていた。「フリーズドライごはんをどこまでおいしくできるか、という課題です」(栗原さん)
なぜ、かつての「カップ茶づけ」は、パックごはんを取り出して温めなければならなかったのか。実は難しかったのは、お米だった。パックごはんを用いないとすれば、お湯を注ぐだけで食べられるフリーズドライのお米が必要だ。ここで、フリーズドライごはんが壁となった。炊きたての食感を、いかにフリーズドライで再現するか。当時はその技術がまだ確立されていなかったのだ。先述の通り、永谷園は40年以上、この難題に挑み続けてきた歴史を背負っていたのである。
40年来の宿題に立ち向かった課長
今回、その宿題に立ち向かったのが、マーケティング本部R&D統括部課長の石川拓也さん(43歳)だった。石川さんは語る。
「フリーズドライは永谷園の得意技術です。インスタントみそ汁などでも使っています。ただ、お米の場合は、格段に難しい。お湯で戻したときの味の差が、他の食材以上に際立ってしまうんです」
一筋縄ではいかない。日常食ゆえに、少しの違いも見抜かれてしまう。「まず40年の先人たちの研究成果を頼りに、お茶づけに最適なフリーズドライごはんの試作から始めました。ところが、すぐに難関に当たりました」(石川さん)
「あちらを立てれば、こちらが立たず」だったという。というのも、フリーズドライしたごはんの湯戻り時間を短くすれば食感が犠牲になる。しかし、米の弾力を優先すれば時間がかかりすぎる。石川さんが栗原さんに笑った。
「当初、彼に『調理時間は5分でもイイ?』と聞いたら、即『3分しか待てない』と。かつてない挑戦でしたが、3分でおいしい“お茶づけのためのフリーズドライごはん”を完成させるしかありませんでした」
どれだけフリーズドライごはんを食べたことだろう
まずは米の種類から見直した。北海道から九州まで、いろんな品種を取り寄せたという。その数、50種以上。同じ品種でも、地域によって味が違うからだ。そして米のうまみ、甘み、食感、形状をチェックしていく。石川さんはいう。
「お米はみんな同じに見えますが、品種によって粒が大きいものとか小さいものとか、サイズにも差があるんですね。ですが、フリーズドライの観点からすると大きければいいわけではありません。フリーズドライ加工やお湯を注いだ時の湯戻りに時間がかかりますから」
来る日も来る日も、毎日4回、米を炊いて凍らせた。真空状態で乾かし、お湯で戻して味を確かめた。粒感はあるか、お米本来の食味はどうか、お茶づけとして食べたときにうまいか。試作は3カ月に及んだ。どれだけフリーズドライごはんを食べたことだろう――執念だった。
ついに突破口が訪れる。選び抜いた米を「どう炊くか」にカギがあった。
「圧力をかけて100℃以上の高温で炊き上げることで、米の弾力、うまみを最大限に引き出せたんです。圧倒的においしくなりました」
高温で芯まで炊き上げるからこそ、食感、弾力そして甘みがお湯で戻したときによみがえる。これまでフリーズドライ製法と相性が悪いと考えられていたこの炊き方にいたるまで、米の選定からさらに3カ月が経っていた。
時代の追い風という重圧
しかもそこから量産化への取り組みで、1年にわたる試行錯誤が始まる。
「ラボでは試作上成功しても、工場の生産ラインではうまくいかない場合が多いんです。例えば、炊いたご飯を一定時間で乾燥させるためには、米の厚みや水の量、乾燥温度など微妙な調整が必要でした。膨大な量の試験品の仕上がりを、一つひとつチェックした日々は忘れられません」(石川さん)
地道な積み重ね。だが、それが勝敗を分ける。一方その頃、マーケティング本部の会議室では別の緊張が走っていた。
永谷園は、家庭用のお茶づけ市場のトップメーカーとして、そのシェアは約8割といわれる。しかし今回の一大プロジェクトの背景には、拡大を続ける即席食品市場がある。リサーチ会社IMARCグループの報告によれば、国内のインスタント食品市場(業務用含む)は2024年度で約9400億円規模(*1)。即席めん、インスタントスープで6割強を占めるが、健康志向の高まりを受け、お茶づけやスープごはんといった米系即席商品もがじわじわとシェアを伸ばしている。
今、挑んでいるのは単なる新商品ではない。このカップ入りお茶づけが、永谷園の未来を背負う存在になる――時代の追い風は、同時に重くもあった。栗原さんは決めた。
「まずはゴールを明確にしました。新商品の発売日を、2024年9月に決めたんです」
マーケティング本部主導で、この日が社内に知らされた。“新しいカップ茶づけ”にお湯がまさに注がれようとしていた――。