現行制度の限界が浮き彫りに

「皇位継承安定化」の問題は、長らく議論が先送りされてきましたが、皇族数の減少は待ったなしの状況であり、もはや避けて通れない喫緊の課題となっています。

皇室研究家らが鋭く指摘するのは、男系男子に固執する現行制度の限界です。悠仁さまの成年式をめぐる異例の経緯、そして皇室の構成員減少が止まらない現状は、現行制度の限界を浮き彫りにしていると警鐘を鳴らします。

一方で注目されるのが天皇、皇后両陛下のご長女、愛子さまの存在です。能登半島地震の被災地や長崎へのご訪問で示された、昭和天皇以来受け継がれてきた「平和への願い」を継承する強いご覚悟。そして、日赤でのご勤務や、地方でのご公務を通して、国民に寄り添い、真摯に務めを果たそうとされる愛子さまの姿勢は、「国民と苦楽を共にする」という皇室の大切な精神を体現されているものとして、国民から好意的に受け止められ、「愛子天皇」待望論がかつてない高まりを見せています。

待ったなしの皇位継承問題は、今後どのようなかたちで議論が進んでいくのでしょうか。独身女性皇族が結婚後も皇室に残る「女性宮家」創設案を含め、プレジデントウーマンオンラインで掲載した中から、とくに反響の大きかった記事を「皇室4選」としてお届けします。


「やっぱり"愛子天皇"を実現するしかない」皇室研究家が悠仁さま成年式を見てそう確信したワケ

(2025年9月10日公開)

天皇皇后陛下並びに愛子内親王陛下(2022年撮影)(写真=外務省/CC-BY-4.0/Wikimedia Commons

去る9月6日は秋篠宮家のご長男、悠仁親王殿下の19歳のお誕生日だった。この日を選んで悠仁殿下の「成年式」が行われた。

男性皇族の成年式は、秋篠宮殿下の成年式が昭和60年(1985年)11月30日に行われて以来、じつに40年ぶりだ。

これは、秋篠宮殿下がお生まれになってから悠仁殿下がお生まれになるまで、皇室には「男子」が1人もお生まれにならなかった事実を示している。

この間、皇室にお子さまが生まれなかったのではない。内親王が4人、女王が5人、合わせ9人の女性皇族がお生まれになっている。にもかかわらず、悠仁殿下のご誕生まで男性皇族は生まれなかった。その結果、40年ぶりの成年式になった。

その意味で今回の成年式は、皇室の将来を男子だけに託そうとする現在の皇位継承ルールが、いかに危ういかという現実を…続きはこちら


「どう見ても愛子さまの即位が自然」初の被災地訪問で皇室研究家が痛感した「秋篠宮家」との決定的違い

(2025年5月25日公開)

石川県金沢駅
写真=iStock.com/Alla Tsyganova
※写真はイメージです

5月18・19日にかけて、天皇皇后両陛下のご長女、敬宮としのみや(愛子内親王)殿下が、昨年元日の能登半島地震で大きな被害を受けた石川県にお出ましになった。目的地は深刻な被害がありながら、まだ天皇皇后両陛下がお入りになれていない七尾市と志賀町だった。

両陛下は昨年、1年のうちに石川県を3度も訪れておられる。3月22日に輪島市と珠洲市、4月12日に穴水町・能登町、12月17日に輪島市というご日程だった。

限られた期間に同じ被災地域に繰り返し入られることは、平成時代にもなかったことだ。両陛下の強いお気持ちが…続きはこちら

やっぱり「愛子天皇」しか考えられない…皇室研究家が「ご一家の長崎訪問でそう確信した」というワケ​

(2025年9月24日公開)

長崎市の平和公園の銅像
写真=iStock.com/GI15702993
※写真はイメージです

戦後80年の今年、天皇皇后両陛下におかれては「慰霊の旅」を続けてこられた。

最初に4月7日、先の大戦で激戦の地だった硫黄島を訪問された。次に6月4・5両日には、敬宮としのみや(愛子内親王)殿下も加わられ、ご一家おそろいで、地上戦で多くの犠牲者を出した沖縄を、訪れられた。さらに両陛下は6月19・20日に、原爆が投下された広島にお出ましになった。

海外では、モンゴルからの要請で7月6日から13日まで、歴代天皇として初めて…続きはこちら

愛子さまの結婚が日本の皇室の運命を握っている…専門家が断言「女性宮家創設案に必ず入れるべき規定」

(2025年4月29日公開)

大日本帝国憲法(明治22年2月11日)
大日本帝国憲法(明治22年2月11日)(画像=国立公文書館デジタルアーカイブ/PD-Japan-exempt/Wikimedia Commons

日本の歴史のなかで、女性が摂政せっしょうになった例が1つだけある。第14代仲哀ちゅうあい天皇の皇后である神功じんぐう皇后が天皇亡き後、およそ70年間にわたって摂政になったとされている。

神功皇后元年は201年という説があるが、この時代の天皇や皇族となると、実在したかどうかも定かではないし、本書の第一章で述べたように神功皇后は、大正時代までは第15代の天皇とみなされていた。女性が摂政になるのは希有なことでもあるが、天皇不在で男性皇族がいなければ、女性皇族が摂政となり国事行為を果たすしかないのである。

こうしたことを踏まえると、皇位継承の安定化ということでは、男性皇族の確保も重要だが、女性皇族の確保もそれに負けず劣らず重要だと…続きはこちら