私たちが損得や確率を正しく判断できず損な選択をしてしまうのはなぜなのか。ジャーナリストの池上彰さんは「行動経済学にあてはめると、人が勝算がほとんどない勝負に出たり、誘惑に負けて目の前のメリットを優先させたりする道理に合わない行動のメカニズムが解明できる」という――。

※本稿は、池上彰『なぜ人はそれを買うのか? 新 行動経済学入門』(Gakken)の一部を再編集したものです。

人間が道理に合わない行動をとってしまうメカニズム

なぜ損得や確率を見極められない?

ヒューリスティックとともに行動経済学を理解するうえで重要なものに「プロスペクト理論」があります。

1万円の利益を得たときの喜びよりも、同額の1万円を損したときのダメージのほうが大きいのはなぜか?

ギャンブルで負けがこんでくると、勝算はほとんどないにもかかわらず、なぜか一発逆転の大勝負に出る人が増えるのはどうしてなのか?

医師から「手術の成功率は95%です」と言われると、「失敗率は5%です」と言われるよりも、ほっと胸をなで下ろすのはなぜか?

こうした私たちにありがちな、道理に合わない思いや行動のメカニズムを解明してくれるのが、プロスペクト理論なのです。

もう少し噛み砕いて言えば、プロスペクト理論とは、リスクのある不確実な状況のもとで、私たちがどのように意思決定するかを理論化したものです。

この理論を提唱した心理学者のダニエル・カーネマンは、2002年にノーベル経済学賞を受賞しました。現在、このプロスペクト理論は、先に紹介したヒューリスティックと同様に、行動経済学の代表的な理論として位置づけられています。

<道理に合わない意思決定や行動の理由>
リスクのある不確実な状況のもとで、私たちがどのように意思決定するかを理論化したのが「プロスペクト理論」である

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人間は損得や確率を正確に見極められない

いつも期限ぎりぎりになってしまう

計画どおりにものごとを進められない理由

人はものごとを計画どおりに進めるのが得意ではありません。1カ月後に仕上げるレポートがあったとして、毎日5枚ずつ書けば提出期限までにちゃんと間に合うと、当初、頭の中で計算します。しかし、その計算どおりにできないのが人間です。

よし、明日からやろう。

いや、明日からは本当にやろうと、1日ずつ先延ばしにしているうちにお尻に火がつき、結局、最後の数日でしゃかりきに仕上げる。子どものころ、夏休みの前半に宿題を全部やっつけてしまって、後半は思う存分遊ぼうと考えて、そのとおりにできた人は、かなり少数派のはずです。

目の前の楽しみを優先させてしまう

なぜ計画どおりに進めることができないのか?

「遊びの誘惑に負けてしまうのは、意志が弱いからだ」というのは精神論で、科学的とはいえません。行動経済学では、目の前の楽しみを優先させてしまう行動を「現在バイアス」という言葉で説明しています。

つまり、人は目の前のメリットに弱い。いま、せっせと宿題をすませれば、あとで楽しいことがたくさん待っていると頭でわかっていても、それができない。これは将来の楽しみよりも、現在の楽しみをより重視するのが人間だからにほかなりません。

<人間の行動には、「現在バイアス」がかかりやすい>
人は誘惑に負けて計画どおりに事を進められないものである

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将来の楽しみよりも、目の前の楽しみを優先させてしまう行動をとる

1年後の2万円より今日の1万円を選ぶワケ

非合理的な行動をとる重要な2つの要因

ここまで述べてきたように、人間が非合理的な行動をとるのはさまざまな要因によります。ここではとくに重要な2つの要因に注目してみましょう。

まず、ひとつが「現在バイアス」と呼ばれるものです。

①1年後に2万円をもらう
②今日1万円をもらう

どちらかを選べといわれたら、②を選ぶ人のほうが多いことがわかっています。1年待てば2倍になる。年利100%など夢のような金利ですが、それでも人は今日の1万円を選ぶ。これは、将来よりも目の前のことを過大に評価する「現在バイアス」の作用によるものです。

さらに、人は将来の利得よりも現在の利得をより重視する「時間的選好」の性質をもっており、時間的選好の強い人は貯蓄が苦手とされています。

損得勘定だけを考えれば、1年後に2万円をもらったほうが得ですが、それがわかっていてもしないのが人間です。つまり、人間はつねに「いま」を生きる存在だといえるのかもしれません。

図表4は縦軸を効用、横軸を時間としたグラフです。時間が現在に近いほど感じる効用は高く、未来になるほど感じる効用は低くなっています。これが、将来的な効用が高いとわかっていても、目の前の効用を選んでしまう人間の心理を表しています。

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「いま」に近い効用ほど人は大きな価値を見いだす

空腹時にスーパーに行くとつい買いすぎてしまう

的確な将来予想ができない理由

日常の無駄遣いを減らしたければ、いい方法があります。それは、なるべくお腹が減っていないときにスーパーに行くことです。逆に空腹状態のときに買い物に行くと、あれこれと買い込んでしまい、よけいな出費がかさむことになります。

空腹だと食品をついたくさん買ってしまう。

しごく当然のようですが、なぜそうなるかを掘り下げていくと、「投影バイアス」という心理作用に行き着きます。

これは、現在の状態が将来も続くだろうと過大評価するために的確な将来予想ができなくなることです。いま空腹であっても、数時間後にはそれは満たされていると少し考えたらわかるのに、なかなかそうはならないわけです。

数時間後の予想ができないくらいですから、もっと先の予想がおぼつかないのも無理はありません。将来、老後資金が必要になるとわかっていても、現役世代の人はこの先も健康で働けるだろうと思い、将来の準備をおろそかにしてしまう。

仏法に「諸行無常」という教えがあるように、現在の状態がこの先もずっと続くことはありません。

多くの人が描いている自分の将来像は、投影バイアスによって歪められた姿だと思ったほうがいいのかもしれません。

<的確な将来予測ができなくなる「投影バイアス」とは?>
現在の状態が将来も続くだろうと過大評価してしまう心理作用のこと

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日常の行動から自分の将来像まで、「投影バイアス」によって歪められていないか、考えてみよう

ダイエットを先延ばししてしまう

将来の利得よりも現在の利得を好む私たちは、同時に現在の苦痛を先送りにする傾向があります。

いまダイエットをすれば将来、健康とスリムな体形という幸せが手に入るとわかっていても、なかなか始められません。

やりたくない勉強や仕事も同様です。こういうときに言い訳を考えさせたら、人間はすばらしい能力を発揮しますが、これでは将来の苦痛がふくらむばかりです。

池上彰『なぜ人はそれを買うのか? 新 行動経済学入門』(Gakken)
池上彰『なぜ人はそれを買うのか? 新 行動経済学入門』(Gakken)

そこで、現在の苦痛やイヤなことを先延ばしさせないための自制法を考えると、まず有効なのが「プレ・コミットメント」です。すなわち、あらかじめ約束してしまうやり方です。

いつまでにこれを終える、と自分に約束を課すのです。このとき周囲を巻き込んで、必ずやると公言してしまう。もしできなかったら食事をおごる、というように「罰則」を加えたら、いっそう効果が期待できます。要するに、自分でそうせざるをえないように自らを追い込むわけです。

日はまた昇る』や『老人と海』で知られる作家のヘミングウェイは、1日5ページ書くことを自らノルマとして課していたそうです。名作の陰には、じつはこうしたプレ・コミットメントがあったのです。

<「プレ・コミットメント」で先延ばしを封じる>
ノーベル賞も受賞したヘミングウェイほどの作家であっても、1日5ページ書くことをノルマとして自らに課していたという事実が、「プレ・コミットメント」の有効性を証明している

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時間的選好の傾向が強い人ほどイヤなことを先延ばしにしがち