当時はバブル景気で、ぼくはまだ30歳だった。小説家を目指すといって退社した。小説を書いてみてダメだったら、再就職すればいいや、と甘く見ていたのだ。

しかし30代後半になって書き上げた小説はモノにならなかった。「うちで働かないか」と誘ってくれる友人もいたが、ぼくは10年近く無職。バブルも弾けた。迷惑をかけてしまうのがわかっていた。

何より、ぼくは、節約生活に面白さを覚えていた。

会社を辞めてからも、高校や大学の同期会や仕事仲間の呑み会に誘われれば、極力参加していた。節約が生活の中心になって、お金を惜しんで家に引きこもり、友人との付き合いが疎遠になってしまうのがイヤだったからだ。とはいうものの、呑み歩くと1万円単位のお金が簡単に飛んでしまう。大出費である。

「うちに呑みにこない?」

6年ほど前、高校時代の同級生を誘ったのがホームパーティを開くきっかけだった。

会社勤めの友人たちも、昔のように交際費や接待費は出ない。社内での立場のせいか人間関係が複雑だから、同僚や後輩と呑むのも気を使う。子どもは手がかからない年頃になっている……。

そんな状況が重なったからか。手作りの料理を囲むホームパーティは、大好評だった。食材と酒代を入れて、ひとり2000円ほどで済んだのも大きかったようだ。

いつの間にか、ホームパーティは定例化した。奥さんや子どもを連れて遊びにくる友人もいるし、地方で暮らす仲間もやってくる。入れ代わり立ち代わり17人も参加した日もあった。中華、イタリアン、エスニック……。ぼくのレパートリーも増えている。

年収100万円といえども、友人たちに気を使わせたくはない。会費はきっちり割り勘にしている。筋を通して対等な関係でいたいからだ。

プータローになったぼくを批判していたヤツも、最近は年齢のせいか、こんな言葉を漏らすようになった。

「おまえみたいな生き方もいいよなあ」「月3万円でこんな生活ができるのか。老後に希望が持てるよ」……。