「これは大変な本だ」

表を拡大
平成維新の会が起案した83法案

マッキンゼーでミクロの企業コンサルティングをやっていれば、必然的にその企業が存在するマーケットの性格や動向、世界のお金の流れについて考察しないわけにはいかなくなる。つまりマクロ経済である。

やがて「『ボーダレス・ワールド』の概念に行き付き、コンサルティングの傍ら、その研究を深めていくことになる。「ハーバード・ビジネス・レビュー」など欧米の論壇に、ボーダレス経済や地域国家論味関する論文を継続的に発表した。

一方で、世界的な経済の流れを研究すればするほど、我が日本のマーケットが中央集権的な官僚規制によっていかに非効率で時代に合わないものになっているか、痛いほど感じるようになった。

当初はそうした日本社会の非効率性、官僚支配の弊害を世に広く知らしめることが、この国を変えていく一助になると考えていた。『世界が見える・日本が見える』『大前研一の新・国富論』『平成維新』『世界の見方・考え方』などの著作はそういう思いから書いたものだ。

社会改革に対する私の基本思想を最初に披瀝したのは1986年に出版した『新・国富論』である。私が関わった同年の衆参ダブル選挙についても触れていて、当時の中曽根康弘首相からも「これは大変な本だ」と評してもらった。

そして3年後の1989年、平成元年6月に出版した『平成維新』で「日本を変えるとは具体的にこういうことだ」という政策提言を行った。

実は『平成維新』の原稿自体は前年の11月には脱稿していた。しかし、当時、天皇陛下の病状が思わしくなく、年号が新しくなる可能性があるということで、出版を見合わせることにしたのだ。
「明治維新に匹敵する変革をすべし」というのが私の考えだったから、新しい年号に「維新」を付けたタイトルにしたいと思っていた。気分は一人坂本竜馬である。一人事故調とか、私は何でも一人が好きなのだ。

天皇陛下崩御の後、平成の世となり、『平成維新』のタイトルが決まった。ただし、年号が変わったことで「昭和回顧録」的な書籍がたくさん出回ったので、それが一巡するのを待って平成元年の6月に日の目を見た。