彼は仁義を切ってきた

「プレジデント」2012年2月13日号掲載の対談「大阪を変える、日本が甦る」より。(撮影=市来朋久)

「『維新』を使わせてもらえませんか」

橋下さんは学生時代から『平成維新』他、私の本を読み込んでいて、道州制に対する理解は深い。知事になった直後に会った時に、大阪から日本を変えるということを熱っぽく語っていたが、その内容はまさに「平成維新」を大阪で実現する、というものだった。

だから「大阪維新」という名前は彼にとって自然なものだったろうし、私にも同意を求めたので、喜んで「どうぞ!」と言った。「大前さんが実現できなかったことを僕がやります!」と歯切れ良く言われた時には、若干「このヤロー!」と思ったが、都知事選で青島幸男氏に惨敗した身としては「是非がんばって!」と言うしかなかった。

彼は、政策と政治は違う、政治は権力闘争だ、それに勝たないと世の中は変わらない、しかしどう世の中を変えるかに関しては是非いろいろ教えてもらいたい、という主張であった。その考え方は今も変わってないし、維新の会の全国進出、太陽の党との合併などもその脈絡で考えなければ理解不能だ。

現に54議席を獲得した2012年12月の総選挙のあとも、私などはあまり賛成できない戦い方であったが「これで霞ヶ関も既存政党もずっと言うことを聞くようになるので仕事がやりやすくなる」、といって、不在にしていた大阪市議会などに対して理解を求めている。市政を投げ出していた期間については給料を返せ、とやっていた市民運動家達もあっけに取られたのではないだろうか?

2010年4月に大阪府議会の一会派としてスタートした「大阪維新の会」は、そのまま大阪都構想の実現を政策に掲げる地域政党として歩み出した。大阪の地で「平成維新」を成し遂げたいということから、橋下さんは元祖維新屋の大前研一にも仁義を切っているし、その後も連絡を絶やさない。

選挙が終わって、急にまた橋下さんからの発信が復活した。大阪市のこと、大阪の府市統合問題の課題解決、市バスや地下鉄の改革・民営化、大阪に世界からヒト・カネ・モノを呼び込む戦略など次々に指示を出し始めた。戦国武将よろしく戦いが終れば地元に戻って「民のかまど」を潤すことを考える、をまさに地で行っている。

その限りにおいては私も全面的に協力する。大阪をピカピカに磨けば日本は変わる、大阪都の先には関西道もあるし、その他の地域(九州府、中京道、新潟州などすでに名乗りを上げているところだけでも十分なインパクトがある)も続くだろう。

統治機構を変えて日本を変える、とあまり一般受けしない難しい言葉を使っている橋下さんは、まさに平成維新を実現してくれる一番の可能性を秘めた政治家、とおもっている。

(次回は《元祖「平成維新」(2)—中曽根首相へのアドバイス》。1月21日更新予定)