受験指導と子育ては「まったく別のもの」だった

大いに引いていただいて結構なのだが、私は受験が好きである。

小さい頃から、それこそ自分の幼稚園受験から、進学のたびに毎度何かしらの試験をくぐってきた。日本だけじゃなくて、海外のいろんなタイプの受験も経験している。どうやら学校という環境と、勉強と、何らかのハードルを「突破すること」が好きなのである。

遠くにゴールを見ると、パドックに入った競走馬みたいに血が騒ぎ始めてヒヒンヒヒン言い出す。環境に飛び込むための関門をクリアすることが快感、ええ一種の変態です。

そのようなキモいサガゆえに、自分だけじゃなくひとの受験を手伝うのも大好きだった。中学受験塾や高校受験の補習塾、大学受験予備校などで講師をして、「入試問題は学校側からのラブレターだ」「どういう学生に来てほしいかはそこに書かれている」「だから分析攻略してマッチングするんだ」と問題を分析し、入試素材文を味わい尽くし、生徒が想像以上の解答を返してくると「いいねえ」としびれまくった。

ところが、すでに育っているよそのお子さんを受験に合格させるための「指導」と、生身の人間を胚から育てる「子育て」はまったく別のものである、と知るのである。

お受験塾があるオホホなオシャレタウンのスタバなんかで、お受験ママが子どもの宿題や返却されたテストを見ながら「ママの子なのに、どうしてこんなこともできないの?」と子どもにキレている姿をよく見てきたが、どのお母さんにも耳のそばでささやいてあげたい。「ママの子だからです」。親は、自分の子どもにはまず客観性を失う。

実は、比較的お勉強が得意で先生たちのおぼえめでたかった上の子の時も、性格がお茶目すぎて先生からお話やお電話がある時は十中八九親が叱られる下の子の時も、幼稚園、小学校受験や中高一貫校受験、大学受験で、合格をいただく裏で不合格もたくさん喰らってきた。途中で夫の海外駐在に帯同してもいたから、2人の子どもは日本でも海外でもいろんな形の受験をした。

娘の小学校受験で植え付けられたコンプレックス

上の子である娘の受験歴で忘れられないのは、小中受験だ。エスカレーター式の私立幼稚園にいたが、小学校で外部受験するからと内部進学を諦め、ところが受験した名門小学校を落ちて、あらためて外部生と並んで受けた内部試験にも落ちた。

「愚かな母親の私が愚かな選択をしたから、子どもによわい6歳で敗北体験を植え付けてしまった」というヘドロのようなコンプレックスを6年間抱えた母は、今度は絶対に「子どもが望んだ学校にちゃんと入れる」体験をさせてあげたいと、娘より10年近く離れて生まれた超絶手のかかる乳幼児期の息子を文字通り抱えながら、中学受験準備に二人三脚した(2.5人三脚というべきか)。

満開の桜と校舎のイメージ
写真=iStock.com/7maru
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