【原】例えば1995年末、首相の村山富市が大蔵大臣の武村正義を呼んで辞意を伝えたのは、伊豆長岡の温泉旅館「三養荘」でした。しかしその後、温泉地は批判の対象となります。2016年4月には舛添要一東京都知事は、公用車で毎週末に湯河原へ通っていたことが明らかになり、大バッシングを受けました

政治家自身が「危機的な状況」を理解できない

【原】2022年の年末には岸田首相の親族が首相公邸に集まって「忘年会」を開き、週刊誌が報じたことで大問題になりました。これを別の視点から見ると、他で集まれる場所がないから公邸で行ったと言えます。東京を離れることすら許されなくなったことを表す象徴的な出来事です。

原武史教授
撮影=遠藤素子
「ゆとり」を失った日本政治の問題点について語る原教授

ドイツの社会学者、マックス・ウェーバーは『職業としての政治』のなかで、指導的な政治家に必要な資質の一つとして「判断力」を挙げました。これは、権力から距離を置くことを意味します。東京という政治の中心から距離を置き、自分を客観視すること。政治に「ゆとり」がなくなることで、政治家自身が自分を客観視、相対化する習慣が失われたのだと思います。

【御厨】スマホの時代になったことも大きい。国会中にスマホをいじる議員が多いのは「無視した」とあとで言われるのが怖いからです。今の自民党の危うさは、ゆとりを失い、国会議員たちがなぜここまで追い込まれているのかを理解できていないことにある。自分自身を客観視、相対化できていない。それが一番怖い。

【原】御厨さんが言われたように、今の危機的な状況を議員自身がまったく把握できていない。今ではリモートやワーケーションという新しい勤務形態が出てきているのにもかかわらず、政界では全く導入されず、通信機器が今より整っていない昭和の時代以上に政治家が永田町に張り付いている。時代から遊離し、ある意味滑稽に見えてしまう。

選挙のことばかりを考えるようになった

――なぜ政治家は「ゆとり」を失ったのでしょうか。

【御厨】1990年代の政治改革で導入された小選挙区制が大きな原因だと思います。以前は中選挙区制で、1選挙区から上位3~5人が当選する仕組みでした。選挙区は広く、金銭買収が頻発するという弊害があった。1選挙区1人を選ぶ小選挙区制にすれば政治は良くなると思い、私も大賛成して旗振り役をしていました。しかし結果は違いました。露骨な買収はなくなっても、政治がよくなることはなかった。