私たちはこれから新聞に何を望むのか、考えてみるべき時期

そうでなくても、「学童保育の帰り道に、『子供がこんなことを言ってきて』みたいなことや、近所の人が『こんなことを言っていたけど、あれどうなっているの、この政策ちょっとおかしいんじゃないの』というような発想を重用する価値観に変わらない限り、どんどん社会とずれていく」と吉永氏は指摘する。

新聞とは、一体誰のものだろう。新聞が果たす社会的役割の大きさを考えるなら、急激な部数減で影響力が落ちている今、もはやこの問題を新聞社だけに任せるのではなく、広く社会に開いて、私たちはどんな新聞を望んでいるのか、もっとオープンに論じるべきだ。

柴田 優呼(しばた・ゆうこ)
アカデミック・ジャーナリスト

コーネル大学Ph. D.。90年代前半まで全国紙記者。以後海外に住み、米国、NZ、豪州で大学教員を務め、コロナ前に帰国。日本記者クラブ会員。香港、台湾、シンガポール、フィリピン、英国などにも居住経験あり。『プロデュースされた〈被爆者〉たち』(岩波書店)、『Producing Hiroshima and Nagasaki』(University of Hawaii Press)、『“ヒロシマ・ナガサキ” 被爆神話を解体する』(作品社)など、学術及びジャーナリスティックな分野で、英語と日本語の著作物を出版。