2012年11月24日(土)

<富士フイルム>本業崩壊、生き残りをかけた変革の12年【1】

PRESIDENT 2012年10月29日号

著者
岸 宣仁 きし・のぶひと
経済ジャーナリスト

岸 宣仁

1949年、埼玉県生まれ。東京外国語大学卒業後、読売新聞社入社。大蔵省、通産省、日本銀行などを担当して独立。著書多数。近著に『知財の利回り』(東洋経済新報社)、『財務官僚の出世と人事』(文春新書)がある。日本大学大学院知的財産研究科講師として教鞭も執っている。

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経済ジャーナリスト 岸 宣仁=文 宇佐美雅浩=撮影
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2012年、名門企業の代表格である米国コダックが破産した。では、なぜ同社を追い続けた富士フイルムは、生き残れたのか。高い技術力を基にした商品戦略、徹底した自己変革の道筋が見えてきた。

営業利益の3分の2、シェア7割が消滅

富士フイルムHD 会長兼CEO 
古森重隆 

1939年、旧満州生まれ。県立長崎西高校卒。東大経済学部卒業後、富士写真フイルム(現在の富士フイルムHD)に入社。2000年社長、05年にCEOを兼務し、12年6月から現職。

「ミネルバのふくろうは黄昏に飛び立つ」

哲学者ヘーゲルが『法の哲学』の序文に記した有名な言葉である。ローマ神話の女神ミネルバは、技術や戦の神であり、知性の擬人化と見なされた。ふくろうはこの女神の聖鳥で、成熟の時である黄昏とともに初めて飛び始めるといわれる。

富士フイルムホールディングス(以下、富士フイルム)の古森重隆会長兼最高経営責任者(CEO)は、この言葉と近年の自社の歩みを重ね合わせてこう語る。

「1つの文明、1つの時代が終わるときに、ミネルバはふくろうを飛ばした。それまでの時代がどういう世界であったのか、どうして終わってしまったのか、ふくろうの大きな目で見て総括させた。そして、その時代はこういう時代だったから、次の時代はこういうふうに備えようと考えた。つまり、ふくろうが飛び立った黄昏とは、うちの会社でいえば写真フィルムが終わった、銀塩のフィルムの技術が終わったことを意味しているんです」

古森が社長に就任した2000年当時、富士フイルムは写真フィルムを含む感光材料で市場シェアの7割を握り、営業利益の約3分の2を稼ぎ出していた。それが奔流のように迫るデジタル化の波に押し流され、以降、年率20~30%のペースで需要が激減し、11年度の売上高に占める比率は1%以下に落ち込んでしまった。坂道を転げ落ちるような本業のドラスチックな崩壊に、古森はいつ頃、どのように気づいたのだろうか。

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カラーフィルムの世界需要推移

「1980年頃でしょうね。写真のいろいろな分野に、デジタル技術が入ってきました。当初は電子カメラといってフルデジタルではないけれど、フィルムに使われる銀塩の代わりに撮像素子を使ったカメラが出てきた。流れが大きく変わり始めた象徴的な年は80年で、デジタルの時代がくるだろうなというのは、うちもイーストマン・コダックも、みんなわかっていたわけですよ」

しかしながら、このデジタル化の激流を富士フイルムは乗り切り、コダックは沈没した。“師匠”に当たるコダックが、2012年経営破綻に追い込まれ、“弟子”の富士フイルムが業態転換で生き延びる――2つの会社の命運を分けたものは一体何だったのか。

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