人間から体毛がなくなった理由とは?

人間の身体には産毛が生えているが、基本的には、他の動物に比べればほとんど生えていない無毛の状態に近い。

体毛が比較的濃い人であっても、動物ほどの剛毛がびっしり生えている人はいないし、濃いといっても、役に立つほどの体毛ではない。役に立つほどの体毛とは、恒温動物の身体を覆う毛皮のような機能だ。冬の寒さ対策になるし、水に濡れたとしてもブルブルっと身体を震わせれば、水気を切ることができ、かつ体毛の中にはいっぱい空気が入って保温効果が出る。しかし人間の体毛はどんなに濃くても、動物レベルで役立つ濃さはなく、寒さをしのげるわけでも、ケガをしにくいとか衝撃を吸収しやすいということもない。

にもかかわらず、人類は、長い氷河期を生き延びて、現在に至ったが、なぜ体毛がなくなってしまったのか。寒いところで体毛がないというのは、かなり「非適応的」な形質のはずだ。

これを多くの学者は、「裸にも何か適応的な意味がある」と理屈をつけようとするが、私には大いに疑問がある。むしろ、「人間は、裸であったにもかかわらず生き延びた」のではないか。

池田清彦『人生に「意味」なんかいらない』(フォレスト出版)
池田清彦『人生に「意味」なんかいらない』(フォレスト出版)

私は「人間の脳が大きくなった」ことと関係しているのではないかと考えている。毛が生えるということは、私たちの外胚葉がいはいようの発生と関係している。私たちが、母親のお腹の中で形成されるときには、3つの胚葉が生まれる。神経細胞や脳、皮膚を形成する外胚葉、生殖器や筋肉、骨などを形成する中胚葉、そして内臓を形成する内胚葉だ。

このうち、神経細胞や脳を形成する外胚葉からは皮膚も形成されるので、私たちの脳を大きくする遺伝子と、皮膚の形質を変化させて「身体から毛をなくす」遺伝子とが、実は密接にリンクしている可能性がある。私たち人類の脳が大きくなって、言葉を話すようになった副産物として、毛がなくなったという可能性があるのだ。

人類の体毛がなくなったことには適応的な意味があったわけではなく、脳が大きくなって言語を獲得する過程で、やむにやまれず失われてしまったということだ。

つまり、脳が小さく言葉は喋れないが、身体が体毛に覆われているか、それとも脳が大きくなり言葉を喋れるものの、身体は体毛で覆われないという選択肢はあっても、脳が大きく体毛もあるという選択肢はなかったのではないかということだ。

普通の動物であれば、毛皮がなければ、氷河期を生き延びられないが、人間は脳が大きくなって道具を使えるようになり、他の動物の毛皮をいで、自身の身にまとうことで寒さをしのいで生き延びたのだ。人間の裸化はそこだけみれば非適応的な形質だが、それでも人類は絶滅しなかったのだ。脳が大きくなったのはプラス、裸化はマイナスだけれども、このトレードオフは差し引き人類の生存にとってプラスに作用したのだ。

これにはもともと目的とか意味があったわけではなく、結果的に人類は生き延びたので、現在も生存しているにすぎない。