慈しんで育ててくれた養父母の影響も大きかった

また、静子の後天的な性格には、養父の音吉から譲り受けたものも多い。米屋の商売にさっさと見切りをつけて銭湯に転業するあたり。後先考えないようなところはあるが、果敢な行動力と決断力は静子も受け継いでいる。それにくわえて、いつもせわしなく動きまわるせっかちなところまでそっくり。

余談だが、この父娘については面白いエピソードがある。

昭和2年(1927)3月7日に京都府北部の丹後半島を震源とする大地震が発生した。「北丹後地震」「奥丹後地震」などと呼ばれたものだが、ちょうど研修生から松竹楽劇部に正式採用が決まった日のことで静子もよく覚えている。

研修生の卒業証書をもらって帰宅する途中、市電を降りたところで小腹がいてきた。そこで家の近所のうどん屋に入り、きつねうどんを注文したのだが。丼を持って食べようとした瞬間、激しい揺れに襲われた。

記録によると大阪市は震度4。東京の人なら大騒ぎするほどの揺れではないが、関西人は地震に慣れていない。また、静子たちが住む恩加島は大阪湾岸の埋立地。軟弱地盤だけに他の地域よりも揺れが激しかったのかもしれない。身の危険を感じて、食べかけのうどんが入った丼を持ったまま店の外に飛びだした。

大衆に愛される「ブギの女王・笠置シズ子」を生み出したもの

店の外に出ると、通りの先にある自宅の方角から大勢の人々が慌てて走ってくる。そのなかには音吉の姿もあった。

「お父さん」

声をかけると音吉も気がついて、

「あかん、もっと遠くに逃げにゃ。うちの銭湯の煙突が倒れたらえらいこっちゃ」

青山誠『笠置シヅ子 昭和の日本を彩った「ブギの女王」一代記』(角川文庫)
青山誠『笠置シヅ子 昭和の日本を彩った「ブギの女王」一代記』(角川文庫)

そう言って静子を促す。父の後ろについて走りだすのだが、見れば音吉も茶碗をかかえていた。御飯時だったのだろう。丼と茶碗を手にしたまま必死に走る父娘の姿を想像すると、なんだか笑えてしまう。せっかちな性格ゆえの失態は、静子はこの後もよくやらかす。天然ボケも他人からは好感をもたれるものだ。

実母から受け継いだ忍耐とポーカーフェイス、育ての親から学んだ人情の大切さや行動力。それにくわえて、天然のギャグセンス? すべて芸能界で生きてゆくのに必要なスキルだ。複雑な生い立ちも“ブギの女王・笠置シズ子”を育むためには不可欠の要素だったのかもしれない。

青山 誠(あおやま・まこと)
作家

大阪芸術大学卒業。近・現代史を中心に歴史エッセイやルポルタージュを手がける。著書に『ウソみたいだけど本当にあった歴史雑学』(彩図社)、『牧野富太郎~雑草という草はない~日本植物学の父』(角川文庫)などがある。