文科省の先導で1953年に就職協定が成立

当時は、大学を出たらサラリーマンの地位が約束されていましたから、次第に「新卒一括採用」を取り入れる企業が増加します。新卒一括採用を最初にはじめたのは、三菱(当時の日本郵船)で、1895年(明治28年)頃だったとされています。第一次世界大戦時の大正バブルと呼ばれた好景気のときには、新卒一括採用は当たり前になった。だからこその『大学は出たけれど』だったわけです。

この頃は、卒業が確定した時点で採用試験を行うとの申し合わせも行われていました。しかし、「優秀な学生を確保したい」という企業の抜けがけが相次ぎ、三菱の提案で申し合わせは正式に破棄。その結果、ますます企業は早くから優秀な学生に手をつけるようになり、学業がおろそかにされるようになってしまいました。シューカツとまったく同じ構造です。

そこで乗り出したのが文科省です。

1952年に「学生の学業に悪影響を及ぼしているし、就職機会も平等じゃない!」として、大学や日経連、労働省を巻き込み、翌年に「就職協定」という、今なお裏で続くルールが確立されたのです。

ルールを守らぬ企業の「青田買い」

しかし、どんなルールができようとも、「優秀な学生」をゲットしたい企業の思惑がなくなるわけではありません。企業はルールの抜け穴探しに躍起になり、あの手この手で「優秀な人材確保」に乗り出します。

「そうだ! 求人を行う大学を決めて、そこの学生だけエントリーを受け付ければいいんじゃね?」と、指定校制度をスタート。名だたる大企業が堂々と学歴主義を打ち出しました。

さすがにこれには反発が相次ぎ、指定校制度は廃止に。すると今度は「だったら、先輩が優秀な後輩を見つけて、ツバつければいいんじゃね?」と、リクルーターと呼ばれるOB、OGを経由した特定大学出身者の採用をはじめます。いわゆる「青田買い」です。

当然、青田買いは秘密裏に行われていましたから、青田買いの対象にならない学生たちはルール通りに動きます。10月1日の解禁日に早朝から「目指す企業」に長蛇の列をつくる光景は、毎年ニュースで取り上げられ、秋の風物詩となりました。

その様子は異様で、海外メディアも注目。通年採用が当たり前の欧米にとって、一括採用自体不思議なのです。