日本企業と仕事をする「きつさ」

正確に言えば、アメリカ企業の日本進出を手伝う作業はゼロではなかった。アメリカの事務所に頼まれて、どうしても日本のことを調べなければならないことがあったのは事実である。

といっても、ほとんど新聞記事の切り抜きで終わるような仕事だった。新聞の切り抜きを斜めに足したような資料でも、アメリカ人は全然情報を持っていないから、「いやあ、ありがとう」と感謝してもらえる。

日本企業の場合、成果が出てキャッシュレジスターがチャリンと鳴るまで「ありがとう」とは言わない。だからキツイ。アメリカ企業は新聞の切り抜き程度の説明でも、「お前のおかげで日本がわかった気がする」と言ってくれて、チャリンとお金が落ちてくるのだ。

言ってみれば、いまは日本でも立派に活躍しているBCGは初期の頃にはもっぱらそちらに走っていたのだ。日本企業相手のビジネスで、彼らがマッキンゼーに比べて20年近く遅れた理由はここにある。切り抜きだけで食べられるような安易な商売をやってしまうと、人材も育たないし、コンサルティングのきつさがわからなくなるのだ。

前項で触れたように、日本企業相手のコンサルティングで結果を出すためには、(独身寮に住み込めとまでは言わないが)クライアントの懐に入って社員の意識改革を促し、改善プロジェクトや課題解決に対するコミットメントを引き出すぐらいのことをやらなければならない。

アメリカで企業のトップから仕事を頼まれたコンサルタントファームがよくやるのは、キーマンのインタビューである。しかし、こっちの人はあっちの悪口を言うし、あっちの人はこっちの悪口を言うという感じで、証言を足し算しても全体像が見えない。つまり課題解決の絵図が見えてこないのだ。だから日本ではトップのためだけに注力するようなアメリカ型の外部コンサルタントは、なかなか問題の心髄に迫れない。

マッキンゼー東京事務所では、クライアントの30歳前後の将来を嘱望された若手社員を集めて大きなプロジェクトチームを作る方式が定番化した。

アンガス・カニングハムが私に対してやったように、今度は私が若手社員にデータを集めさせて、分析内容を議論し、出来上がった改善策を時には彼ら自身にトップの前で社内発表させる。そうやって、「企業参謀」を育てることが、クライアント企業自身の課題解決力を高めることになるのだ。

これは海外ではまったく例のないやり方だった。課長にもなっていない若手が「会社の将来を担う人材」のわけがない、という考え方が当たり前だったからである。

東京事務所の成果が全社で評判になり、海外の事務所から見学に来るほどだった。

次回は「『企業参謀』誕生秘話」。8月6日更新予定です。

(小川 剛=インタビュー・構成)