妻、義母を殺害し、息子の遺体を資材置き場に埋めた

亡くなったのは、同居していた生後5カ月の章寛の息子、妻、そして義母――。和代と浩幸は、章寛が勾留されている宮崎県宮崎市の警察署まで向かわなければならなかった。何かの間違いであってほしい……。その一心で2人は約5時間、ほぼ無言のまま、車を走らせていた。

日本の警察とパトカー
写真=iStock.com/akiyoko
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2010年3月1日、宮崎市内の民家で、奥本真美(仮名・当時20代)と母親の山口信子(仮名・当時50代)が死亡しているのが見つかり、さらに生後5カ月の長男・雄登が行方不明となった。「帰宅したら2人が死んでいた」と第一発見者を装い通報した章寛は、その後警察の調べに対し、3人を殺害し、長男の遺体を埋めたと供述。近くの資材置き場から、長男の遺体が発見された。

宮崎市内の警察署に到着した2人は、悪夢が現実になったと感じていた。

「ごめんなさい……」

面会室に現れた章寛は、両親の顔を見るなり泣き崩れた。これほどまでに弱々しい章寛の姿を見たのははじめてだった。2人は警察の事情聴取などがあり、しばらく宮崎に留まらなければならなかったが、宿を借りる際、名前を名乗ることができず、車内で寝泊まりするしかなかった。殺人犯の家族だと周囲に知られることが怖くて仕方なかったのだ。これから先、何が起きるのか、親として何をするべきなのかわからず、日々不安だけが募っていった。

「車を走らせて、そのまま海に身を投げてしまいたい……」

そんな思いがよぎる瞬間が何度もあった。

季節を感じる余裕も失うほどの精神状態に

地域の人々は、そんな2人を心配して電話で励ましてくれていた。

「職場の責任者は、『仕事は心配するな、俺たちがおまえを守るから、子どもを守れ』と言って送り出してくれました。おばあちゃんや子どもたちもおるし……」

地域の人々や、他の家族への責任感が、殺人犯の親という十字架を背負った2人を死の淵から生きる道へと導いていた。地元に戻った2人は、「これ以上、周囲に迷惑はかけられない」と落ち込んだ姿を見せないよう仕事に励んだ。罵声を浴びせたり、嫌味を言う人はいなかったが、傷ついた心に、ちょっとした言葉が刺さることもあった。

章寛と一緒に遊んでいた子どもたちの話を聞く度に、「なんでうちの子が……」と悲しみが込み上げてくることもあった。

「あの時こうしていれば、ああしていればと……。夜中に目が覚めるたび、いろんな思いが頭を巡って、とにかく、後悔の日々でした」

同じ場所で生活しているにもかかわらず、事件前とは、見える景色まで変わってしまっていた。事件からひと月経った頃、「桜の花は見えてるか?」そう職場の人から声をかけられ、和代はハッとした。下ばかり向いて、季節を感じる余裕など失っていた自分に気が付いたのだ。

「子どもはひとりだけじゃないやろ、もうひとりおるんやからしっかりしなさい」

そう言って、涙ながらに励ましてくれる人もいた。地域の人々の温かさに、和代は少しずつ、自分を取り戻していくことができたという。