膨大な情報にさらされ、かえって生き方に迷いを抱える現代人は少なくない。混迷を深める“今”という時代は、個々人のあり方が問われる時代ともいえる。『人新世の「資本論」』などの著作を持つ経済思想家の斎藤幸平さんは、思考力を高めるためには「わからない体験」こそ重要だ、と語る──。
写真撮影=永井浩
ベストセラー『人新世の「資本論」』が話題の斎藤幸平さんは、便利さと引き換えに失った「空いた時間」を取り戻そう、と語る。

思考力を奪われる時代

スマートフォン(以下、スマホ)やApple Watchのようなウェアラブルデバイスなどの技術のおかげで、私たちの生活は格段に便利になっています。しかし、そうしたツールで日々を効率化できたとして、そこで生まれた時間を有効に使えているのかというとはなはだ疑問です。

空いた時間で何をすればいいのか。

ほとんどの人はTwitterやインスタグラムで時間を浪費しているだけでしょう。そもそもどこまで効率化を求めるべきなのか。そういった疑問にスマホは答えてくれません。Google Mapも目的地が決まっていれば便利ですが、私たちの代わりに目的地を決めてくれることはありません。

しかも、スマホなどを触り続けることで、私たちの個人的な趣味嗜好しこうさえもGAFAのような巨大プラットフォーマーが把握しようとしています。

私たちの知らないところで、「この人はこれが好きだから」と分析が行われ、広告が出されています。本来であれば私たちが自分自身で考えるべき問題について、テクノロジーがそれらしい答えを提示するようになっているのです。企業には効率的でしょうが、それが「私たちにとって」最適な答えかといえば、もちろんまったくの別物です。

本来、「良い人生とは何か」という問いには答えがないからこそ、自ら考えることが大切なのですが、テクノロジーは思考力を育てる機会を奪い続けています。SNSにはそれらしい情報が溢れているため、インフルエンサーの発信する情報をコピーして発信すれば、賢くなった気分にはなれるでしょう。でも、それで思考力が身についているわけではないのです。

私たちはテクノロジーを操作しているつもりで、思考停止の状況を放置していれば、逆に操作される状態になりかねません。そうならないためには、スマホから目を離し、自らの思考力を鍛える必要があります。

ここで実践的なツールとなるのが、哲学や歴史、美術といったリベラルアーツの知見です。

本当の知識人とは何か

私は、アメリカのいわゆる「リベラルアーツカレッジ」といわれる大学で政治学を学んで、4年間を過ごしました。その後、ドイツに渡り、ベルリンにあるフルブント大学で哲学科の博士課程を修了しました。

海外で学ぶことを決めたのは、高校時代から、日本の教育のあり方に漠然と疑問を感じていたからです。

日本では大学入試を受ける際、あらかじめ理系と文系に分けられ、系統に沿った学部を選択します。しかし、アメリカではそこまではっきりとした理系・文系の切り分けはありません。

私は高校時代、理系だったのですが、哲学にも関心がありました。歴史をさかのぼれば、哲学者として知られるデカルトは、医学、天文学、物理学などにも精通した学際的な人でした。また私が今研究しているマルクスにしても、経済学のみならず、歴史や哲学、さらには生理学や地質学など多岐にわたる知識を統合しています。

彼らの著作を読むうちに、高校時代の私は理系・文系の枠にこだわらず幅広い知識を身につけたいと考えました。専門性は大切ですが、しっかりリベラルアーツを学んだうえで自分の領域を広げたかったのです。

※写真はイメージです

そうした考えを抱くにあたり私がとくに強く影響を受けたのは、アメリカのコロンビア大学で教えていたパレスチナ出身の文学研究者・批評家であるエドワード・サイードでした。

サイードは、『知識人とは何か』という著作の中で、専門性という“象牙の塔”に閉じこもる人を知識人として認めず、専門性を踏み越える「アマチュア主義」を是としていました。実際、彼自身、文学者でありながら当時のパレスチナ問題などについて積極的な発言を繰り返し、指揮者のダニエル・バレンボイムと平和のための青年オーケストラを設立したりした実践の人物でした。

サイードが特別ではなく、アメリカの知識人の多くが、それぞれの専門性をもちながらも、専門分野を踏み越えて積極的に社会的に向けて発信をしていました。その姿に刺激を受け、私は「アメリカで勉強したい」と考えるようになったのです。今、私がメディアなどで気候変動問題について積極的に発言している背景にも、やはりサイードの影響があります。

思考力を高めるために古典を読む

私自身の留学体験についてお話ししましたが、必ずしも留学が必須というわけではありません。日本にいても、特別な学校に通わずとも、思考力を鍛えることは可能です。

そして、思考力を身につけるうえで、私はリベラルアーツを学ぶことがなにより大切と考えています。

たとえば、岩波文庫などの古典をたくさん読んでみる。そうした経験が、のちのちきっと役立ちます。

古典に、私たちが直面するさまざまな疑問に対する「答えそのもの」が書かれているわけではありません。それに難解なので、すぐに理解できないことのほうが多いでしょう。しかし、その問題が複雑なものであればあるほど、答えは教えてもらうのではなく、自ら考えて導き出す必要があります。そのために必要な思考力を、古典を読むことで鍛えることができます。

「古典を読むべき」と言うと、古典の解説書を読んで満足する人がいます。たとえば私もマルクスの解説をしていますので、私の本や記事を読んでマルクスを理解した気になってしまう人もいるでしょう。しかし、これではいけません。

私の話を聞いて満足するのではなく、「これがマルクスが本当に言いたいことなのか」と疑い、マルクス自身が書いたものを読んでみるのです。そうした読書をおこたると、わかったふりはできても、自分自身のオリジナルな考えは生まれず、思考力も身につきません。

解説書を読むのであれば、古典にあたる前の道しるべとして使うのがいいでしょう。いきなり膨大な数の岩波文庫を読もうとしても、途方に暮れてしまいますから。

「わからない」体験をしよう

今は書籍でも何でも、「わかりやすくせよ」といった圧力があり、作り手も迎合している側面があります。もちろん、わかりやすいことも一つの価値ですが、これが行きすぎると、すべての情報がYouTube化していきます。情報が断片化され、深い思考ができなくなるのです。

これからの時代は、単純な「わかった」体験を積み重ねるより、あえて「わからない」という経験をたくさんしたほうがいいと思います。そして、「わからない」という事実を受け止めたうえで、理解できるように思考力を磨くことを勧めます。

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読書をして理解できないときに、書き手のせいにするのは簡単です。マルクスを読んでわからなければ、「マルクスの本なんて読む価値がない」と言いたくなる人も中にはいるでしょう。でも、価値のない本が100年以上も読み継がれているわけがありません。

古典を読む意味はここにもあります。古典の場合、理解できないときに書き手のせいにできません。今書店に並んでいるベストセラーのビジネス本でさえ、その9割9分は100年後には残っていないと思います。しかし古典は、長い歴史を生き延びてきています。だから、そこには人間に普遍の何かしらの価値が存在すると考えたほうが自然です。

今の自分に「わからない」からといって、古典を切り捨てるのはあまりにももったいない。

ちなみに、もしマルクスの本に興味があるのなら、最初は『ドイツ・イデオロギー』を勧めます。マルクスの本といえば『資本論』が有名ですが、『ドイツ・イデオロギー』を読むと、マルクスが天才といわれる所以を感じることができると思います。私自身、この本を読んでから、マルクスをさらに研究しようと思うようになりました。

次に、マルクスの『経済学・哲学草稿』という本もお勧めです。これはマルクスが若い頃の作品ですが、「労働と疎外」の問題が語られています。労働の意味を考えるきっかけになるいい本だと思います。

情報を咀嚼し、時間をかけて身につける

私は高校生の頃はサッカー部に打ち込んでいて、それほど教養豊かなタイプではありませんでした。古典に慣れ親しんでいたわけでもありません。しかし、大学生になって、集中的に古典を読んだ時期があります。

それは、日本を代表する哲学者である廣松渉に影響を受けてのことです。彼の本を読むと、図書館に行って、決めた棚の本を全部読んだといった逸話がありました。私はそれを真に受けて、夏休みに自分でもやろうとしたのです。

もちろん、私は廣松のような読書法を継続したわけでもないし、みなさんに同じことをするように薦めているわけでもありません。廣松自身も誇張しているのではないでしょうか。でも、一時期だけでもあのような読書経験をしたことは、その後の人生に大きな影響を与えました。誰でも、一生に1回くらいはそのように思索を深める機会をもつといいと思います。

私は、環境問題や経済などの文脈から「脱成長」という考え方の重要性を訴えていますが、情報を取り入れるときにもスローダウンが重要だと感じます。何事も咀嚼そしゃくして身につけるには、当然ながら時間がかかるのです。知識を取り入れ、自らの思考に昇華するには、時間をかけるほかありません。

体力をつけたいのであれば筋トレや走り込みをしますよね。同じように、思考力をつけたいなら難しい本を読む必要があります。読書が嫌なのに思考力をつけたいというのは、走り込みをせずにホームランバッターを目指すようなものです。

難しい古典を読むのは、平易なビジネス書を読むより時間がかかるでしょう。とりわけリベラルアーツに馴染みのない人は、苦労するかもしれません。でも、知のトレーニングが、情報過多の時代には不可欠なのです。そうして培った思考力が、情報に流されそうなときにあなたを支える“重し”になってくれるはずです。

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