ランニングシューズは「ドイツ製」でなくてももいい

【ナイト】その当時、ランニングシューズはドイツ製が良いとされ、世界中のマーケットを独占していましたが、私にはそれがどうしても理解できなかった。そこで私は考えました――日本製でも通用するのではないか、かつて日本がドイツ製のカメラを凌駕していったように、日本製のランニングシューズもドイツ製に対抗できるのではないかと。これが論文の大前提でした。私は必死に論文に取り組み、教授はそれを気に入ってくれました。

【ルーベンシュタイン】評価はAでしたか?

【ナイト】ええ、Aでした。

【ルーベンシュタイン】そして卒業されたわけですね。それだけ素晴らしい論文をまとめたにもかかわらず、どのシューズ会社も雇ってはくれません。しかもシリコンバレーのベンチャーキャピタルに縁もなく、ベイエリアで職を得ることはできませんでした。地元に帰ったあなたは、会計士になりますね。仕事は楽しかったですか?

【ナイト】気がついたら15年も会計士をやっていました。自分が何をすべきか、たくさんの人の意見を聞きましたよ。スタンフォードではファイナンスも学んでいたので、それを聞くとみな口を揃えてこう言いました。『天職なんてものはありゃしない。まず公認会計士の資格を取るべきだ。これはなかなか役に立つし、最低限の収入は保証してくれるよ』と。それで私はその忠告に従ったのです。

日本メーカーの靴を輸入するところから始まった

【ルーベンシュタイン】しかしその前に、あなたはひとりで世界中を旅して回りました。

【ナイト】最初はふたりで旅していたんですが、そいつがハワイで女の子につかまったんです。私はそんなこともなかったので、あとはひとりで旅を続けました。

【ルーベンシュタイン】日本に滞在しているあいだ、靴の製造業者を視察しに立ち寄ったりはしなかったのですか?

六本木ヒルズからの東京の景色
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【ナイト】それは例の論文を書いたときに、頭に浮かんだ計画の一部でした。――つまり日本の靴のメーカーを訪ねて、アメリカに輸入する手はずを整えようと思っていたのです。実際に訪問したのは1社でしたが、彼らは非常に乗り気で、そこからビジネスがスタートしました。

【ルーベンシュタイン】そして帰国されると、彼らは約束通りショーズを送り始めます。受け取る会社は、ブルーリボンでした。この名前はどこから着想を得たのでしょう?

【ナイト】彼らに訊かれたんですよ、『会社の名前は?』ってね。何か名前を考えなきゃいけなかったんです。

【ルーベンシュタイン】それでとりあえずブルーリボンと。日本からシューズが送られてくるようになると、今度はあなたがそれを売らなければなりません。確か緑色のクライスラー・ヴァリアントを持っていらっしゃったはずです。シューズをトランクに入れ、あちこちの陸上競技会を回り、セールスに励まれたわけですね。

【ナイト】その通りです。

【ルーベンシュタイン】そのころはまだ、世界規模の企業を作ろうという思いはありませんでしたか?

【ナイト】会社もスタートしたばかりで、大きくしようとは思っていましたが、今のようになるだろうとまでは思っていませんでした。

有名なロゴマークは35ドルで学生が考えた

【ルーベンシュタイン】ある時点まで来れば、輸入元の日本企業も競合相手になってきます。そこであなたは新たにナイキという名を会社につけ、会社の成長を図っていくことになるわけです。会社のロゴマークが必要となり、誰かがスウッシュを思いつきます。あなたはその対価として35ドルを支払ったそうですね?

【ナイト】ポートランド州立大学でグラフィックデザインを専攻していた学生が考案したものです。彼女はお金が必要だったので、私たちはこう言いました。『デザインが出来上がるまで、1時間に対して2ドル支払うよ』。結局、完成まで17時間半かかりました。

【ルーベンシュタイン】ほう、35ドルですか。考えられないような値段ですね。

【ナイト】お互いにハッピーエンドでした。

【ルーベンシュタイン】株式をいくらか分けてあげましたか?

【ナイト】株式を公開したときには、500株渡しましたよ。まだひと株も売っていないと聞いています。今では100万ドル以上になっているはずです。