なぜ「○○の宝石箱や~」だけが突出して受けいれられ、人気となったのか。もちろん彦摩呂にとっては、このアドリブがきっかけで自身の枠をはずすことができ、リポーターとしての地位を確立した記念碑的表現である。しかし、ただ偶然「当たった」だけではない。

食ベ物を宝石に見たてるメタファーは、それほど珍しくはない。刺身に近いところではにぎりずしがある。

大正14年(1925年)生まれで今年78歳になる小野二郎は、いますし職人として円熟の極みに達しようとしている。無駄もスキもないにぎりずしは、まるで宝石のように美しく輝いていて、(中略)小さな奇跡と呼んで過言ではない。(山本益博『至福のすし』)

そのほか砂糖菓子やチョコレート、ケーキなども宝石に喩えられることが多い。こちらはイタリアの高級ジュエリーブランド、ブルガリが手掛けるチョコレートブランド「ブルガリ イル・チョコラート」の、その名もチョコレート・ジェムズ(チョコレートの宝石)を紹介した文章だ。

いくつもの緻密な作業を経て、ひと粒に2~3日かけて完成するチョコレート・ジェムズ。たぐいまれなクリエイティビティと繊細な感覚が求められるその工程は、まさに「宝石」を作り出すプロセスそのもの。その中に閉じこめられているラグジュアリーを、舌の上に、口の中に、解き放ってください。(ブルガリ イル・チョコラートのウェブサイト)

「宝石」という言葉がもつ特別感

にぎりずしやチョコレートを宝石に見たてる。そのココロは、まず外見が輝いているように見えること。大きさは片手で持てるくらいであること。次に希少であること。それゆえ比較的高価であり、特別感があること。

宝石コレクション
写真=iStock.com/Nopadol Uengbunchoo
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さらにいえば、宝石を輝かせるには磨きをかけなければならない。つまり熟練した職人の技が必要で、手間・労苦がかかるということも暗示される。いくら外見がキラキラしていても、その味が宝石のように希少で、特別でなければ「宝石」とはいえない。

「宝石」ということばは、たとえ彦摩呂自身は意識していなかったとしても、このようなバックグラウンドを背負っている。「○○の宝石箱や~」というフレーズを耳にする視聴者もまた、知らず知らずのうちにものの見方や表現の仕方に影響を受けているはずだ。

「IT革命」「反抗期」「ドリンクバー」といった表現には、宝石ほど確立した豊かなバックグラウンドはない。この点だけでも、フレーズのもつ深みと奥行きに明らかな差がある。