京セラも始まりは下請け企業だった。創業者で名誉会長の稲盛和夫さんは「下請けの中小企業は『うちは下請けだからどうせダメだ』と卑下することがあるが、それはおかしい。京セラは下請けからグローバル企業に成長した。厳しい状況をどう受け取るかによって、経営も人生も180度変わる」という――。(第4回)

※本稿は、稲盛和夫述・稲盛ライブラリー編『経営のこころ 会社を伸ばすリーダーシップ』(PHP研究所)の一部を再編集したものです。

稲盛和夫氏
写真提供=稲盛ライブラリー

毎年、何度も「値段を安くしてほしい」という交渉が…

中小企業経営者の多くが、下請けで儲からないような仕事をもらい、ウチは技術もない、何にもない、結局は大手企業の下請けをやっている。それで自分を卑下して、ダメだなとお考えだと思います。そうではありません。事業家として成功していった人は、そういう下請けから始まっているのです。

これは私のケースですが、大学を出て最初に就職した会社でファインセラミックスの研究をしていて、最初につくったのがU字ケルシマという製品です。

当時、松下電子工業(以下、松下)がテレビのブラウン管をつくり始めていました。ブラウン管に必要な絶縁材料に適したものがないというので、私が開発したものを使ってくれた。それが京セラ創業の製品でもありました。

その製品は「私しかつくれないものだ」と私は思っていましたが、松下側からしてみると、すでにオランダのフィリップス社から輸入をしていたため、日本で買えなければオランダから輸入して買えばいいと思っておられた。

そのなかで日本では私が安くつくるので、私に依頼があった。つまり松下の下請けをやっていたのです。

すると、松下からは毎年、何回となく「値段を安くしてほしい」という交渉があるわけです。

ブラウン管の生産がどんどん増えていくと、「今まで毎月五万本発注していたけれど、今度は六万本、七万本になって量が増えたのだから、値引きをするように」と言われるのです。

さらに、十万本になったから、十五万本になったから、あるいは生産を始めて二年経ったから、と値下げを言ってくる。

「もう、いよいよ下がりません。これ以上は下がりません」と言うと、「だったら確かめるため、決算書を持ってきなさい」と言われる。もう腹が立って、腹が立って、「もう下がらないのです」と言って喧嘩をしたこともありました。