日本人は見られることを嫌がるけれど、アメリカ人作業者は「仕事の一環だから当たり前」という反応だった。

もっと言えば、日本人は第三者が見ていると、ついつい、いいカッコしようと思って張り切ってしまうのである。張り切ってやることが嫌だから計測をされたくないというのが本音だろう。

一方、アメリカ人作業者は「オレは給料分だけ働く」とはっきり決めている。誰が見ていようが、ストップウォッチで計測されようが、切り売りした時間だから、文句を言うことに意味はないと割り切っている。誰かが見ていたからと言って、いつもより頑張って仕事をすることもない。

“現状維持”を良しとする社会風土と闘っていた

かつて大野はこう言っていた。

「アメリカの自動車工場(フォード)を見学した時、ワーカーは平気でタバコを吸っていた。だが、日本人は上司が来ると、急にタバコを消して働いているふりを始める」

つまり、日本人は自意識過剰ともいえる。働いているところを見られると落ち着かなくなる。監視されて自分の作業にムダな部分があると指摘されると、むきになって否定する。指摘されたことをカイゼンして、作業の手順が楽になったとしても、それでも、なんとなく面白くないと感じるのが日本人一般なのである。

トヨタ生産方式の導入で現場が抵抗したのは他人から見られること、自分の仕事のムダな部分があらわになること、そして、現在やっている作業を変えることへの恐れからだった。いつまでも現状維持で働いていたい……、それが本音だった。

大野たち一派が闘っていたのはトヨタの社内ではなく、現状維持をよしとする日本社会の風土だった。だから、導入には時間がかかったし、また、一方的に押しつけるだけでは定着しなかったのである。現場の人間を大切にし、毎日、しつこいくらいに足を運ばなければカイゼンは進まなかった。

それでも大野一派の努力でトヨタ生産方式は少しずつ浸透していった。繰り返しになるが、最初は機械工場、それから組み立て工場に受け入れられ、プレス、鍛造といった部門は最後になった。

大野が定義する「7つのムダ」とは

そして、全工場で導入されてからもカイゼンは続いた。現場はつねに変化していたから、その都度、新たなムダを見つけてはカイゼンしなくてはならなかったのである。

たとえば、クラウンを製造する全工程でトヨタ生産方式がある程度、形になったとする。だが、クラウンがモデルチェンジすれば部品は変わる。部品が変われば工程が変わり、新たなムダが生まれる。もう一度、大野や鈴村が出かけていき、ムダをつぶしていかなくてはならない。