人生を変えたカラオケ

1984年、青森で生まれた岡嶋さんは、3歳から8歳までアメリカで過ごした。その後は日本で育ち、「歌」に目覚めたのは中学1年生の7月、期末試験が終わった日に友人たちと出向いたカラオケボックスだった。

子ども同士でカラオケに行くのは初めてで、テンションが上がった女の子たちは、ミスチル、安室奈美恵、SPEEDといった当時のスターミュージシャンの歌を、5時間、ひたすら歌い続けた。この時、友人たちは岡嶋さんの素人離れした歌唱力に気づき、驚いたのだろう。

利用時間が終わる5分前を知らせる電話が鳴り、ラスト1曲のタイミングで、締めを任された。岡嶋さんが友人たちと相談して入力したのは、ミスチルの『Tomorrow never knows』。情感たっぷりに歌い上げると、友人たちが泣いていた。

音楽プロデューサー・岡嶋かな多さん
筆者撮影
過去の出来事については「この箇所があることによって救われる方もいると思うので」と岡嶋さん

それからは、ことあるごとにカラオケに行くようになり、岡嶋さんが『Tomorrow never knows』で締めて、みんなで泣いて終わるのが定番になった。SPEEDの『My Graduation』を歌った時も、それぞれの恋や友情、学校生活に思いを馳せて涙、涙。友人たちから「もっと歌って!」とリクエストされたり、歌った後に喜ばれると、岡嶋さんは嬉しくなると同時に、ホッとした。

「それまで自分にぜんぜん自信がなくて、なんのために生きているのかわからなかったし、むしろ自分がいることが世の中や世界に迷惑じゃないかと思っていたんです。でも、歌うことでみんなから求められていると感じることができたし、みんなが楽しんでくれる、喜んでくれるなら、もっと歌いたいと思うようになりました」

過去の記憶……「自分が汚物とか異物のように思えた」

そう、人前で歌うようになるまで、岡嶋さんは危険なほどに自己肯定感が低かった。インタビューの時、それはなぜですか? と尋ねると、一瞬で表情に影が差した。数秒間の沈黙の後に打ち明けられた話に、僕は言葉を失った。

アメリカに住んでいた時、まだ幼く、なにもわからない彼女に卑劣な行為をした大人がいた。一度ならず、何度も。その時は知識がなくて自分になにが起きたのかわからなかったが、日本に戻ってしばらくしてから、自分が犯罪の被害者になっていたのだと理解した。しかし、それを誰にも打ち明けることができなかった。その男は、両親とも顔見知りだったから。

「私が話したら、うちもその人の家族も破滅するって、幼いなりにわかっていたので……。自分がいることで家族が壊れるとか和を乱してしまうという感覚を小さい頃に持ってしまって、それがずっと解消されないままでした。自分のことが汚物とか異物のように思えて、この世界にいない方がいいのではと感じていたんです」

コンデンサーマイク
筆者撮影
歌うことで救われた中学生時代