なぜ霞が関の不祥事はなくならないのか。「霞が関」をテーマに2019年から取材を重ねてきたNHK取材班は「不祥事は特定の個人や省庁だけの問題ではない。もっと根が深いものだ。官僚たちは疲弊し、霞が関は弱体化し、存在感を低下させている」と指摘する――。

※本稿は、NHK取材班『霞が関のリアル』(岩波書店)の一部を再編集したものです。

ストレスを受けた女性
写真=iStock.com/kumikomini
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戦後から守り続けてきた「文書主義」が形骸化している

「霞が関のリアル」、2019年3月からNHKのウェブサイト上でスタートしたこのシリーズには2021年1月までに30本を超す記事が掲載された。取材に関わったのは主に社会部の記者たち。事件、医療、環境、教育など専門分野の異なる10人余の記者たちが「霞が関」という1つの取材テーマに向き合った。

この取材のきっかけは2016年以降、相次いで明るみにでた霞が関の不祥事だった。森友学園をめぐる財務省の決裁文書の改ざんや防衛省が日報を隠蔽した問題。さらに、加計学園の獣医学部新設をめぐってはその選定プロセスの不透明さなどが国会などで大きな議論となった。私は加計学園をめぐる問題をデスクとして指揮したが、2年近くに及んだこの取材において、何度も信じられない思いをした。中でもショックだったのは霞が関における文書主義の形骸化だった。

政策立案などのプロセスを詳細に記録し、のちに検証できるようにする文書主義。これは官僚たちが戦後、最も大切にしてきたイズムだったはずだ。それが「存在するもの」が「しないもの」とされ、公文書でありながら「書かれた内容が事実と違う」とされた。「何が省内で起きているのか?」私たちは強い疑問を官僚たちにぶつけ続けた。

特定の官僚の話ではない、もっと根深い問題だ

「疑惑がある以上、どんな取材相手でも追及する」。これは記者の矜持だが、それを遂行し続けるには身を切る覚悟が必要だった。親しかった官僚から責められたり、遠ざけられたりするのは日常となり、精神的に不安になった取材相手の話に夜通し耳を傾けた記者もいた。事実を明らかにするためとはいえ、記者たちにとってはつらい取材だったはずだ。

しかし、上からの圧力に負けず、敢えて口を開いて、組織の不正を告白してくれた官僚たちのことを思うと引くことはできなかった。何より、長年取材先として尊敬かつ信頼してきた人たちがどうしてこんな深刻な現状に目を背けているのか、その理由が知りたかった。

霞が関ではその後も、各省庁が障害者の雇用を水増しした問題(2018年)や文部科学省や厚生労働省の幹部官僚の接待問題(2018年)、厚生労働省の「毎月勤労統計調査」の不正(2018~2019年)など不祥事がやむことはなかった。強まる霞が関へのバッシング。次第に私たちの頭の中にはこんな考えが持ち上がるようになった。「これは特定の個人や省庁の問題ではなくもっともっと根が深い。何か別のアプローチが必要なのではないか」と。