保守派の期待と裏腹にタカ派的発言を一切しなかった

安倍は、その自著『美しい国へ』(文春新書)で、保守層がいかにも好む憲法9条改正、歴史認識問題、靖国やすくに問題、慰安婦問題、拉致問題、等を滔々とうとうと力を込めて語っている。しかし菅が唯一の自著『政治家の覚悟』(文春新書)で語ったことの中でせいぜい保守層が好むものと言えば、「朝鮮総連への固定資産優遇の免除」などであり、他は平凡な新自由主義的な構造改革路線を語るに過ぎなかった。

菅首相の所信表明演説でも、保守派の「一丁目一番地」ともいえる憲法9条改正については一言一句語られることは無く、12年の総裁選で安倍が語ったような「竹島の日式典の政府主催」「尖閣諸島に公務員常駐を検討」などのタカ派的な発言は一切していない。無論、「安倍政権の継承」をうたっている以上、菅内閣とて安倍路線のイデオロギー部分をいくばくかでも踏襲するのが筋であるから、総理就任直後の20年10月17日、靖国やすくに神社の秋季例大祭に合わせて「内閣総理大臣 菅義偉」名で「真榊」と呼ばれる供物を奉納した。

そこに起こったのが「バイデンVSトランプ」の大統領選挙

この行為は、当時日本共産党の「赤旗」等からも批判されたが、保守派、ネット右翼からは「真榊」の奉納ではなく、総理大臣としての靖国やすくに参拝が、「保守の政治家」としてのバロメーターになる。しかし菅は、総理主任から約5カ月を経た今も靖国やすくに参拝を行っていない。保守派にすれば、「安倍政権の継承」をうたいながらも、菅内閣はイデオロギー的には「無色透明」に近く、全然踏襲していないという不満ばかりが募ることになっている状況である。もちろんこれは、大きな声として保守界隈かいわいに共鳴している訳ではない。あくまでも、地下のマグマまりの様に、フラストレーションとして内包しているということだ。

こうしてみると、第2次安倍政権の「突然」の崩壊があった20年8月末から9月初旬にかけてと、「安倍政権の継承」をうたって誕生した菅政権が、実際には第2次安倍政権のイデオロギー的な側面を全く継承していない、ということが自明のことになった20年末に、アメリカ大統領選挙が起こったことは幸か不幸か偶然であった。

保守派とそれに追従するネット右翼が、自らのタカ派的・反中的価値観を第2次安倍政権に仮託していた20年8月末までと、それを必ずしも継承していない菅政権誕生という激動の中で起こったのが、20年のバイデンVSトランプの大統領選挙であると言える。