厳しさに隠された「やさしい心」

あるときは、大手メーカーの下請けで赤字に転落したA社長からのSOSを受け、「工場のコストダウン政策では潰れてしまう!」と檄を飛ばし、嫌がる社長とともに販売店の店頭訪問を繰り返し、高級ラインの商品開発と値上げ要請、自主販売の具体策を講じた。

また、不渡り事故で資金難に陥りそうになった社長と経理部長を川崎の自宅に呼び、休日を返上し深夜に及ぶまで資金対策や銀行対策に心血を注いだ。何としても会社を守り抜くための手立てを考え、実行させ続けたのである。

全ての権限を社長に集中させ、怯懦きょうだになる社長の背中を押し、強烈なトップダウンで血が流れようと幹部が反対しようと、会社存続のためには泣いて馬謖ばしょくを斬ることも断行させたのである。

一倉先生を知っている社長たちは、「鬼の一倉」を強調したがるが、実際の一倉先生は鬼だけではなかった。「鬼手仏心」という四字熟語があるが、一倉先生の厳しい姿勢の中に「慈悲にみちたやさしい心」を感じた社長がたくさんいたのである。

講義や会社で怒鳴られた社長たちが今でも、「あのとき、先生があれだけ本気で怒鳴ってくれていなかったら、ウチは今頃ないかもしれない」と話している。これほど怒鳴られて多くの社長たちから感謝されているのは、一倉定先生ぐらいだろう。

「業績不振を社員のせいにするな!」

私がはじめて一倉定先生と会ったのは、1979(昭和54)年である。その頃の一倉先生は東京・大阪・福岡の公開セミナー(年間8コース)と個別企業の相談指導など、超ハードスケジュールでまさに全国を飛び回わっていた。

当時は、60歳を過ぎたあたりで、まさに脂が乗り切った時期だった。獲物を狙うような眼光の鋭さが印象的であった。当時、私は大学3年で経営学、会計学を専攻していたが、当然だが一倉先生の講義が大学の講義とあまりに違うことにショックを覚えた。さらに社長がこれほど熱心に勉強する姿に触れ、意味もわからず感動したことだけは鮮明に記憶している。

当時の情景が浮かんできた。

東京駅から徒歩5分、皇居前のパレスホテル、地下1階のゴールデンルーム。350名を超える異業種の社長が一堂に集い、大きな声で互いに近況や市場、お客様の情報交換で一種独特の熱気に包まれていた。会場の前列は10年、20年と通い続けていた常連組の席だった。家族ぐるみの付き合いをしているオーナー一族も多く、さながら同窓会の雰囲気である。

午前10時きっかりに、ざわついていた会場が一倉先生の登場とともに、ピーンと張りつめた空気に変わり、社長を叱り飛ばすような、教え諭すような一倉節が午後4時まで続いた。私の手元には、当時、一倉先生が講義で使用していた受講用テキストが8冊あるが、今でもページをめくっていくと、行間から先生が「いったい、社長はどっちを向いて経営をしているんだ!」「業績不振を社員のせいにするとは、社長の怠慢以外何物でもない」と睨むように怒鳴る声が響いてくる。