なぜ現代の高齢者は「身勝手」に見えるのか

従来型の人生行路は、子ども期に遊び、学童期に勉強し、青年期に仕事も習うとともに恋愛して家庭をもち、その後、定年まで仕事に邁進し、定年後は、余暇を楽しみながら、後進を指導するなど社会に貢献するというパターンが一般的であった。

現代では、図表5に見られるように技術や社会環境の変化スピードが著しく速くなったことが、このようなかたちで、段階を踏んで人間が成長していくというモデルが時代遅れとなっているのではないかと考える。

米国における新技術の普及スピード

まず、何よりも学童期から青年期に学んだ知識や技術がすぐ陳腐化してしまうので、若いころ勉強して、大人になってそれを生かして仕事するというモデルはまったく有効でなくなった。

いい例が情報機器である。

タイプライターを習得してもパソコンに代替されてその技術は役に立たなくなる。まだパソコンのキーボードが重要であるうちはまだよいが、主たる入力がマウス、タッチパネルへと変遷し、今や、音声入力や考えただけで入力されるというような時代になってきている。

若いうちにはどんな事でも習得するという習慣さえ養えばよいのであって、実際に使いこなさなければならない技術は何歳になっても覚えなければならないのである。

10月1日から消費税が8%から10%に引き上げられたが、スマホを使えないと消費低迷を防ぐため政府によって用意されたポイント還元制度を十分に利用できないというのだからひどいものだ。かつて未熟な若者に能書きを垂れていた高齢者は、新技術をいち早く習得した若者から使い方を教わらなくてはならない時代になったのだ。図表5に見られるように、現代の新技術の普及速度は1世代より確実に短くなっているのである。米国で発明された新技術を遅れて取り入れる日本のような国では特にそうである。

人生の節目に関して「適齢期」がなくなりつつある

「生涯学習」「リカレント教育」が時代の潮流になっているのはそのためである。こうした教育の新潮流は、生活に余裕ができたので、定年後になって大学に入りなおして勉強するといった悠長なものではない。時代変化のスピードアップから余儀なくされている生き方を示す言葉なのである。

それとともに、結婚や出産や定年などの時期は人それぞれでかなりズレが生じるようになってきている。周りが女性を追い回しているから、それに同調して行動し、結局はみんなで結婚になだれ込むという「昭和」までの習慣は絶えてしまっている。

人生の節目に関して「適齢期」というものがなくなってきている。早く親元から独立する者もいれば、いつまでも親に依存して生活する者もある。うかうかしていると婚期を逃す。

また、若年出産も高齢出産も選択の問題になりつつある。同級生の行動を見て自分もそれにならうというような時代ではないのだ。離婚も結婚直後には限らず、いつ襲ってくるか分からないので常に注意すべきなのだ。

なかでも大きいのは高齢化に対応した年金制度の維持対策のために年金受給年齢が高年齢化していっている影響である。いつまで働き続けるかという点についても「適齢期」がなくなりつつあるのである。遊びについても、子どもの時期や定年後に遊べばよいなどと考えていると、結局一生遊べなくなる可能性が強い。勉強、仕事、家事をしながらも時間を見つけて遊ばなければならない。