配信のリコメンドページは「死んでいる」

動画配信サービスのリコメンドページを見ると、僕は「時間が止まって死んでいるな」と思うんです。ただの倉庫じゃないですか。いかにリコメンド機能があろうと、できあがったものを順番に置いているだけなんです。

テレビは違いますよね。テレビは世の中とつながる窓口になっています。テレビをつけて、ニュースを見たら今なにが起きているかが分かるし、情報番組やバラエティ番組なら、今の世の中をライブ感をもって感じられる。ドラマにしても、そのドラマは今まさに封切られているわけで、世の中との共時性があります。でも、配信サービスを観たところで、今動いている世の中とつながっている感じはしないですよね。

ネット側に身をおいて真剣に考えると、今ネットに欠けているのは共時性やライブ感、偶然の出会い、発見する喜びなんです。それを持っているのは、結局テレビなんですよね。だからネット系の映像メディアはテレビになっていくのではないか、というのが最近の僕の意見なんです。

「僕らは自分の目で見て、すごいとか面白いと感じる場面が少なくなっていると思う」と小松氏(撮影=小野さやか)

テレビそのものが「昭和のヒットコンテンツ」

――一方で、みんなで一緒にテレビを見るという、いわゆる「お茶の間」がなくなりつつあると言われています。

「テレビって何だったのか」ということですね。特に草創期になぜテレビがこんなに流行って、必需品になったのかと考えると、一つのものを大勢で共有して見ることができたからなのだと思います。昭和のヒットコンテンツは、テレビそのものなのです。上皇陛下のご成婚パレード、読売ジャイアンツ、力道山など、それまでは、バラバラの場所で生で見るしかできなかったものを、テレビによって共有体験できるようになりました。

結局、映像エンターテインメントの楽しみ方は、見たものを人が共有できることに尽きるのではないかと思います。今は、みんながバラバラな映像を、個別に選んで見る方向に進んでいて細分化しています。それは、テクノロジーが進んで、できることが増えている渦中だからです。

だけど、結局マスに集約されていくと思うんです。これだけ細分化すると、見るものを探すのが面倒くさくなって、「手軽に高品質なものを見たい」という方向に収斂していくのではないでしょうか。ネット側の立場になって考えるとそう思います。

ネット系の映像メディアがマスを目指していくと、今度は数が絞られます。5つに絞られたら、それはもう地上波と同じですよね。今も、BSやCSを入れれば無数のチャンネルがあるけれど、何となく地上波が一番身近に感じられて、圧倒的にシェアがある。同じことだと思います。