約束は、自分自身とするものです。誰も見ていなくても自分が見ています。そして、しっかりと手を抜かずに行動しているその背中を、きっと誰かが見ています。リーダーの仕事は、フォロワーよりも激務で、努力のわりには見返りも少ないかもしれません。それでも、手を抜かないでリーダーとしての務めを果たすことが、自分への誇りにつながります。

余談ですが、日本は、目に見えない「知」とかアドバイスに対しての敬意が低いし、目に見えないものへの報酬が少ない文化であることが気になります。研究開発とか、最先端の知は、多くの時間と失敗の積み重ねから生まれた知恵のかたまりにほかなりません。そのことをしっかりと理解し、目には見えない背景に敬意を表すことが、研究開発を推し進めるのではないでしょうか。情のある成熟した人に育ててくれる一助にもなります。

何を学び、誰とつながり、何を捨て、何を選び取ったか

石田さんは初登院の際に「嘘は絶対につきませんが、知らぬことは知らぬと言うから、どうかご勘弁を」と言い、さらに「国鉄が今日のような状態になったのは、諸君たちにも責任がある」と代議士に向かって痛烈な文句を口にします。これは「国会議員職はパブリックサービスそのもの。国鉄総裁のわたしもパブリックサービス。率直に話し合える仲だ」と考えたからであり「同士として本当のことを言ったまで。一緒になって改めるべきは改めようと訴えたつもりであった」。

大岸良恵『人の気持ちがわかるリーダーになるための教室』(プレジデント社)

そして、活性化のために、まずは総裁室のドアをオープンにします。秘書を通さず、また秘書を立ち会わせず、誰でも、いつでも、話し相手になりました。「それまでは、秘書課で質問内容までチェックし、簡単には会えないしきたりであった」ものを180度変えてしまいました。心からの真っ直ぐな信念を、口先だけではなく即、行動に移す生き方は若いうちから晩年まで一貫していました。

情のあるリーダーは、「知」のみならず、「情」と「意」も高いレベルで持っている人です。己を知り、「意」を鍛える過程で自分というものが確立するにつれ、自分の軸が定まってきます。どのような人間になるのかは、何を学び、誰とつながり、何を捨て、何を選び取ったかという生き方の積み重ねに拠ります。漫然と生きるか、意を持って生きるか。それは大きな違いを生みます。付和雷同の生き方にならないためにも、自分とはどういう人間か、自分の強みは何か、自分は何が得意で、何で貢献できるかをいつも意識していることが大切です。

フォロワーが、リーダーに求めるものは、安定や希望や思いやりだけではありません。リーダーへの信頼や尊敬を求めています。その「信頼」「尊敬」はリーダーの人間としての軸、リーダーの生き方の筋道に寄せられるのではないでしょうか。石田さんの筋道は当時の時代背景の中でまっすぐ一本に通って輝いていました。マックス・ウェーバーはこのように言っています。

「権力は、売り買いができる。奪ったり、与えたりもできるもの。
権威は、それができない。人間として備わっているもの。人間性、性格」

石田さんのようなmeanではない生き方、筋道の通った、権威のあるリーダーを目指したいものです。