ラクに生きるにはどうすればいいのか。重要なのは欲張るのをやめることだ。ネットニュース編集者の中川淳一郎氏は「これまで仕事ではさまざまなトラブルを経験してきたが、40代なかばになってようやくラクになった。老いや衰えは一概に悪いことでもない」という──。

衰えにあらがうことをやめた

44歳になった。体は衰え続けている。昔できたことがもうできなくなっている。だからもう、いろいろと諦めることにした。いちいち衰えと老いにあらがうのはやめることにした。なすがままに生き、「アンチエイジング」とか特に考えず、好きに生きることにした。

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人がこうした考えに至るまでには、さまざまな事実を突き付けられ続けることになる。そして「どうあがいても、もう諦めざるを得ないのだ」という厳しい現実を認めるところまで経験しなくてはならない。「いや、オレはまだまだ若い。三浦カズだって51歳で現役だし、イチローの脚は44歳にして以前より速くなっているというではないか!」なんてことを言いたくなるかもしれないが、それは彼らの天賦の才と努力と自己管理がなせる、まさに神の領域。凡百の人間と同列に語ってはならない。

長距離走とベンチプレスに秀でた若いころ

さて、自分自身の身体能力に目を向けてみると、他の人よりも優れていたのは長距離走とベンチプレスである。

高校時代を過ごしたアメリカでは陸上部に入っていた。100mのベストタイムは16秒8と非常に鈍足だったが、1600mは5分15秒と悪くないタイムだった。大学では登山部に入り、水曜と土曜の活動日は土手を往復5km走っていたのだが、1年生のころから大抵は1位か2位でゴールしていた。

また、1996年の関東学生パワーリフティング大会に出場した際には、ベンチプレスの60kg級で5位に入った。ベンチプレス一本に賭けていたため、スクワットとデッドリフトの2種目は最下位である。その大会では優勝ラインである115kgを持ち上げようと狙っていたのだが、2回連続でファウルしてしまい、最後の試技では無難に105kgに設定。それで5位になった。大学卒業後もベンチプレスは続け、28歳のときに持ち上げた122.5kgが自分の最高記録となった。

昔から球技はからっきしダメだったが、胸と肩の筋肉、そして持久力だけは優れていた。それもあって、社会人になってからは自宅のある駒場から会社がある芝浦まで、約8kmをママチャリで通勤していた。それがまったく苦にならないどころか、むしろ「心地よい疲れ」を感じていたくらいだった。電車に乗る場合でも駅まで走り、1本でも早い電車に乗ることを心掛けていた。30代になっても自宅にベンチプレスのセットを置き、週に3回はジョギングをする生活をしていた。